最近の反作用的差別に対して、どのように対処すればよいかということが、3回シリーズ最後のテーマとなります。反作用的差別はオリジナル差別とはやや異なり、差別克服の進展に対する反発から起きている反動現象であるということを最初に再確認しておきます。
差別克服の進展という前提事実は、21世紀に入ってから、かなり顕著になっていますが、その原動力となってきた思想及び運動は、簡単にまとめれば、少数者のアイデンティティ承認です。これは少数民族や性的少数者、障碍者その他あらゆる社会的少数者の少数者としてのアイデンティティを尊重しようとする思想及びそれに基づいた社会運動です。
これは社会的少数者が言わば「総カミングアウト」して、社会の一員として承認されるうえで有効ではありました。その政策的な成果として、多様性政策(DEI)の全社会的な導入や同性婚の解禁などがあります。こうした政策の導入の有無やその内容は依然、国ごとの相違が大きいですが、世界全体としては過去20年ほどの潮流となっています。
しかし、こうした潮流に対して、社会的多数派をもって自認する人たちの反発が強まって反作用的差別が起きているわけです。社会的多数者もまた、多数者としてのアイデンティティが脅かされていると感じ、自らのアイデンティティを強調するようになってきたわけです。
言わば、少数者のアイデンティティと多数者のアイデンティティの衝突現象が、反作用的差別です。これに対処するには、前提となっているアイデンティティ承認を見直す必要があります。少数者としてのアイデンティティを捨てよう、と言えば波紋を呼ぶかもしれませんが、いったん少数者としてのアイデンティティから離れてみることです。
すなわち、少数者もアイデンティティの承認を求めるのではなく、多数者も少数者も、わずかな差異を除けば、共通点も多い人間であるという当たり前の事実に立ち戻ることです。実際、人は人類として生物学的に同一の生物です。差異にばかりとらわれず、共通点を探そうということです。そうすれば、アイデンティティの衝突は回避できます。
一方で、多数者を自認している人たちも、丸裸にすれば、最低一つは少数者としての属性が見つかります。ここで「丸裸」とは文字どおりの意味と、比喩的に用いられる社会的な意味と二重の意味があります。
文字どおりに丸裸にすれば、多数派を自認する人が普段ひた隠しにしている少数者としての身体的特徴が露呈することも十分にありますし、また出自・経歴等を精査してみれば、やはり多数派自認者が秘匿している少数者としての属性が判明することも十分にあります。結局のところ、多数者も特定の属性では少数者であり、少数者も別の属性においては多数者なのです。
脱アイデンティティは、伝統的なフェミニズムにも及びます。フェミニズムも元来は男性至上の社会体制に対して女性のアイデンティティを高調する思想と運動でしたが、女性差別の克服において大いに成果を上げた反面、現在では、「生物学的女性」のアイデンティティ運動という側面が強まり、「生物学的男性」から性別転換したトランスジェンダー女性を排斥するある種の差別思想と運動に変質してしまいました。フェミニズムも、見直しの曲がり角に来ています。
こうした脱アイデンティティは、政策にも投影されます。特に、反作用的差別の中で最もやり玉に上がる多様性政策(DEI)です。多様性の確保に詳細な基準を設けて、採用や昇進に少数者割り当てを設定する政策は、積極的差別解消措置(アファーマティブ・アクション)の拡大版ですが、現在では、明らかな少数者―特に人種的少数者―が目立つ地位―映画の主役のような娯楽分野も含む―に就いていると、「DEI基準で優遇されている」と批判することが、新手の差別言説となっています。
実際のところ、そうした有力な少数者がDEI基準で優遇されているかどうか不明ですが、そのような批判にさらされることも、新たな差別です。これに対処するには、DEI基準のような人為的な差別克服策をいったん停止することも検討すべきです。
そうなると、まさに反作用的差別に屈することになるのではないかという疑問もあるでしょう。しかし、DEI基準は少数者としての属性を理由に優遇することで差別するという利益差別の性質も帯びていることに注意が必要です。差別は通常は不利益な処遇ですが、反対に有利な処遇をすることも差別となり得ることは、これまでにも指摘してきました(拙稿1・拙稿2)
そのため、DEI基準をいったん停止してみても、少数者が排除されて多様性が損なわれることがないと確認されれば、問題ないわけです。反対に、停止したとたん少数者が一掃されてしまえば、やはりDEI基準は必要だったと理解されるでしょう。そのためにも、DEI基準を恒久的に「廃止」するのではなく、試行的に「停止」することは有効なのです。
さらに、反作用差的差別の中で最も政治問題化している移民受け入れ問題に関しても、元来、無制限の移民受け入れは急激な人口増という社会的不安定要因を作り出すことから無理があるわけで、計画的な移民分類と受け入れ基準に基づく制御された移民政策、期間限定での一時的避難民保護政策などを導入すること、文化の多様性のみならず、多文化の交流と包摂に重点を置く政策などに転換することが有益です。
また、同性婚のような婚姻制度の拡大に関しても、同性婚を推進することは間違いではありませんが、保守的な社会でどうしても前に進まない場合、無理押しはせず、同性婚に代えて、性的指向不問の―従って、異性間でも成立可能な―婚姻に準じた法的効力を持つ準婚制度(パートナシップ制)を導入するといった妥協策も、脱アイデンティティの施策として検討すべきでしょう。
最後に、反作用的差別の言わば政治的司令塔となっている差別主義政党の扱いという機微な問題があります。これらの政党の大半は濃淡はあれ、人種差別主義を核心として成立し、各種の差別助長を扇動することで近年、各国で急速台頭し、政権獲得を窺うレベルにまで到達しています。ここでは、こうした傾向の政党を人種差別を意味するレイシズムに代表させて、「レイシスト政党」と呼びます。
こうしたレイシスト政党が増長する傾向は、2020年発のコロナ・パンデミックを契機としていることも注目に値します。レイシスト政党の多くはパンデミック前に保守系政党からの分離などを契機に創設されているものの、マイナー政党にとどまっていました。
ところが、パンデミックの発生源が中国とされたことから東アジア系移民/外国人への差別が欧米諸国でも拡大したことや、反発も強かった政府によるロックダウンやワクチン強制接種への政治的反対運動と結び付く形で台頭し、支持者を急速に殖やしたのです。コロナ・パンデミックは反ユダヤ主義を助長した中世のペスト禍と同様、差別を助長し、レイシスト政党の台頭の土壌を提供しました。
これらレイシスト政党の扱いは微妙ですが、法律をもって禁止することが最も端的な政策です。これらの政党もそれなりに民意を代表しているなどと悠長に構えていたら、レイシスト政党が次々とドミノ倒しのように政権政党に座り、ナチ党に変貌する可能性もあります。ナチ党あるいは同類のファシスト政党もその核心には必ずレイシズムがあります。レイシスト政党はナチ党やファシスト政党とほぼ垣根のない境界で接しており、いつでも変換可能ですから、傍観し、放置してはならないのです。
以上、反作用的差別への思想的・運動的、さらに政策的、政治的な対処のあり方について、概括的ながら、述べました。反作用的差別は2020年代を象徴する差別現象となっていますので、本講座でも、今後の動向を個別的な問題に即して注視していきます。