差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

〈反差別〉練習帳[全訂版](連載第30回)

レッスン5:性自認差別

レッスン5では、差別の二丁目二番地に当たる性自認に基づく差別に関する練習をします。

 

例題1:
あなたは公私の各種書類上の性別記載欄は不要だと思いますか。


(1)思う
(2)思わない

 性差別の中の歴史的な中心問題はレッスン4で見た性別による差別ですが、近年は「性別」という区別そのものを問い直そうとする動きも出てきています。
 
 私たちの社会生活を様々に規定する性別には一応生物学上の根拠が認められ、性別を分けることが直ちに差別に当たるわけではありませんが、種々の書類上でいちいち性別の記入を求められることに素朴な疑問を感じることもあるかと思います。
 その書類が使用される目的上性別情報が不可欠であるとは言えないのに性別の記入を求められると、性別に基づく何らかの差別を受けるのではないかという疑念も生じてきます。その意味でも、各種書類上の性別記入欄は性別情報を取得すべき正当な理由がない限り削除することが望ましいと考えられます。
 
 実際、性別は相対的でもあり、次の例題2で取り上げるように、性同一性が認められない人、あるいはそもそも性別に関して確定的な自意識を持たない人も存在します。このような人たちにとっては、性別記入を強いられること自体が苦痛と感じられる場合すらあるでしょう。

 

例題2:
あなたは生物学上の性別と自意識上の性別の一致(性同一性)が認められない人に対して、どのような感情を持ちますか(当事者を含め、自由回答)。

 性同一性が認められない人は広くトランスジェンダーと呼ばれます。なお、よく似た用語としてトランスセクシュアルというものもありますが、これについては、後に例題3で改めて取り上げます。
 

 ここで留意すべきは、同性愛とトランスジェンダーを混同してはならないという点です。同性愛とは生物学上の性別と自意識上の性別は一致しているが、異性ではなく同性に向かう性的指向のことであり、そこには性同一性が認められる以上、トランスジェンダーには含まれません。一方、トランスジェンダーの人は生物学的に「同性」を指向しても、性同一性が認められないため、実質上は「異性」を指向するに等しいので、「同性愛」ではありません。

 
 こうしたトランスジェンダーに対しては、しばしば同性愛と混同されつつ、「気色悪い」というような素朴な悪感情を抱く人がいるかもしれません。また、自己差別の一環として、トランスジェンダーの当事者が自身を異常者のように思い、劣等感を抱くということもあるかもしれません。
 そのような人たちは、おそらく生物学上の性別を絶対不動のものと理解しているのでしょう。しかし、人間の性別は生物学的基礎に立ちつつも、心理的な自意識とも組み合わさった複雑な構造を持っており、むしろ自分は女性だとか男性だといった自意識上の性別(性自認)により大きなウェートがあるとさえ言えます。
 
 実際、性同一性が認められる大多数の人たちは持って生まれた生物学上の性別をそのまま自意識上の性別として何となく受容しているだけのことであって、両者にずれが生じるトランスジェンダーとの差異は相対的なものにすぎないとも言えます。その点では、トランスジェンダーの人とそうでない人とを「同じ人間」として包摂することはそれほど難しくないと思われます。