差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

重症ホモフォビアと擬態法案

18日、連立与党から「LGBT理解増進法案」なる法案が国会に提出されました。これは同性指向者やトランスジェンダーなどのいわゆる性的少数者に対する理解を増進させることを目的とする日本初の法案だとされています。

 

2021年には与野党超党派による同種法案が合意されていたものの、与党内の強硬な反対論から提出に至っていなかったところ、自民党内での内容改定を経て、今般、連立与党のみでの提出に至ったとのことです。しかし、その内容は、当初の超党派案より大きく後退的な骨抜き法案となっています(比較対照表は朝日新聞記事参照)。

 

中でも、「全ての国民が、その性的指向又は性自認にかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのっとり、性的指向及び性自認を理由とする差別は許されないものであるとの認識の下に」としていた立法目的の規定が削除された点が、すべてを物語っています。

 

この文言の削除により、今般法案は差別禁止法としての性格を失い、「性的指向及び性同一性を理由とする不当な差別はあってはならない」とする実質的な差別存置法案へと改変されてしまったと言えます。

 

すなわち、上記文言「不当な差別はあってはならない」を裏返せば、「不当でない差別」はあってよいばかりか、「不当な差別」ですら「許されない」(禁止)ではなく、「あってはならない」という限りでの道義的な否定にとどまることになります。

 

ここで、「不当でない差別」として最も想定されるのが、同性婚の排除でしょう。同性婚を認めない現行民法に関しては下級裁判所違憲判決も下され始めているところ、今般法案はそうした傾向に歯止めをかけ、現行民法を護持することに隠された狙いがあると考えられます。

 

また、超党派案にあった「学校設置者の努力」という先進的な条項は削除されています。このことは、学校教育の中で性的指向性自認について啓発的に教育する反差別教育の否定を意味しているので、結局、性的指向性自認について学校で教わることなく成人する人が大半を占める現状が今後とも継続するでしょう。

 

結局のところ、今般法案は「理解増進」なる体裁を用いて、差別禁止法を装う擬態法と言えます。擬態とは、動物が攻撃や自衛などのため、体色・体形などを周囲の物や別種の動植物に似せる習性のことですが、人間が作る法律にも真の狙いを隠すために別の法律に似せた擬態法があるのです。

 

ここまでの経緯を見ると、去る2月には、首相秘書官(官僚)による同性指向差別発言の発覚がありました。発言は「(同性婚者を?)見るのも嫌だ。隣に住んでいたら嫌だ。(同性婚を)認めたら、国を捨てる人が出る」などという内容で、これは単なる差別を超えた同性指向嫌悪(ホモフォビア)の、それも相当に重症の症候的言説です。

 

本来はオフレコだったとはいえ、このような発言が通常は自論を発することのない裏方の秘書官からなされた背景、またこの発言と今般法案の関連性の有無など、政治事情に疎い筆者には判断しかねますが、結果として、今般法案はこうしたホモフォビアに対しても十二分に「配慮」された擬態法案となっていることは注目されます。

 

ちなみに、今般法案が広島サミットの開幕前日に国会提出されたのは、サミットを意識した外交的配慮の一環との観測もありますが、G7参加国中、最上級審判例上を含め、同性指向者の婚姻または婚姻に準じたパートナーシップ制度を一切認めていないのは日本だけという中、擬態的な理解増進法案などを提出したところで、何ら外交的得点にはなりません。

 

件の秘書官発言では、同性婚が認められたら国を捨てる人が出るなどとしていますが、むしろ、今般の法案で同性婚の道が閉ざされれば、同性婚を認めている国へ出ていく当事者が増加するかもしれません。それは「同性指向者が隣に住んでいたら嫌だ」というホモフォビアにとってはまさに都合のよいことなのでしょう。

 

残念ながら、日本はホモフォビアにとっての安住地となりそうです。筆者は拙『〈反差別〉練習帳』の中で、同性指向嫌悪の理由を正面から問う例題を設けましたが(拙稿)、件の秘書官を含め、日本人はいまだここから練習を重ねる必要があることを改めて痛切に感じています。

 

[追記]
上記法案は、2023年6月16日、可決成立した。