差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

「失言」の構造:反面差別表現

「失言」にもいろいろありますが、差別的という批判を浴びる「失言」はしばしば失職などの重大な事態につながることもあります。ただ、表面上は差別的ではなく、むしろ称賛的なのに、「差別的」との批判を受け、発言者が反発を示すこともあります。


その点、筆者は『〈反差別〉練習帳』の中で、「反面差別語」という微妙な用語を提示しました。その部分を改めて抜粋・引用します。

 

 反面差別語には、美女(美人)、美男、イケメン、カッコいい、頭が良い、秀才など、容姿や能力に関わる言葉が多いです。これらの言葉自体は称賛語ですから、当然ながら禁句集には搭載されません。にもかかわらず、各々の言葉の反面的なもの、すなわち容姿の醜さや知性・能力の欠如を劣等視する価値観をその反面に伴っている語群です。
 従って、例えば「彼はイケメンだ」などという最近の流行表現は、その裏に非イケメン男性に対する差別が隠されており、こうした表現が社会的に普及していくことは、「人間、見た目がすべて」というあらゆる差別の根元にある容姿差別の価値観を宣伝するに等しいことになります。これも、何気ない日常的な流行語の中に重大な差別が潜伏している興味深くも実は深刻な一例と言えます。


これは個々の言葉が反面差別語となる場合の説明でしたが、それとは別に、一続きの文が反面差別的であるような「反面差別表現」というものが存在します。これはおそらく、現在では最も多いタイプの差別的表現と言えるでしょう。ありがたいことに反差別の意識が一定まで浸透してきた昨今は、公人にせよ、私人にせよ、少なくとも公然と明白な差別的表現を直接口にすることは稀だからです。

 

しかし、反面差別表現は解釈の余地があるため、判断が難しくなります。その実例として、川勝平太静岡県知事(当時)が辞職する原因となった「失言」があります。これをめぐってもう少し早く論考を公開する予定でしたが、筆者の体調の問題から遅れてしまいました。問題発覚と辞職から半年近くを経て、世間では忘れかけられていますが、冷静な分析を行うには十分な時間を経過したとも言えるので、ここで改めて取り上げてみます。

 

こうした政治家の「失言」に対する批判にはそれ自体に政敵や反対勢力等の政治的意図・思惑が含まれることもままありますが、ここでは当講座の趣旨からも、そうした政治的憶測は排して、純粋に表現そのものの分析に焦点を当てます。まず、問題となった発言部分を当時の報道記事から引用してみます。

 

実は静岡県、県庁というのは別の言葉でいうとシンクタンクです。毎日、毎日、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいはモノを作ったりとかということと違って、基本的に皆様方は頭脳・知性の高い方たちです。ですから、それを磨く必要がありますね。


これは県庁の新任職員の入庁式での訓示で述べられた発言です。表面上は難関を突破して入庁した職員を称賛する文脈で出た発言であり、正面切っての差別表現ではありません。しかし、その裏に反面的に差別が内包されているのです。

 

すなわち、県庁を「シンクタンク」に見立ててつつ―そのような見立ての仕方にもいささか疑問の余地はありそうですが、ここでは触れません―、「野菜売りや牛飼い、モノ作りの人たち」との対比で、そうした「シンクタンク」の職員と規定された県庁職員の「頭脳・知性の高さ」を称賛しているのです。

 

ここでは、「野菜売りや牛飼い、モノ作りの人たち」のような机に向かってするのでない現業職の人が、頭脳・知性において、事務系労働者である県庁職員より劣るという発話者の認識が反面的に示唆されています。これが反面差別表現の特徴です。対比を介した暗示的なほのめかしの差別として、先に上げた個々的な反面差別語と同様の構造を持つわけです。


もっとも、ここで、現業職者が事務職のようないわゆる頭脳労働者より知性において劣るのは真実ではないかという反論があるかもしれません。しかし、それは精神労働を肉体労働より優越的とみなす昔からある古い職業的偏見をもとにした認識であり、確かな根拠はありません。特に現代の「野菜売りや牛飼い、モノ作りの人たち」は業務上高度な情報機器を使いこなすこともあり得ることを考えれば、なおさらのことです。

 

反面差別語や反面差別表現は、それ自体としては称賛的な表現であって、直接に差別的ではないにせよ、反面的に差別的価値観を暗示し、流布させることになるので、公人やそれに準じた立場の人のネット上を含む対外的な発言、また一般人の日常会話の中でも、極力使用を控えるべき、否、使用すべきではないと言い切ってよいと思います。

 

反面差別語や反面差別表現を使用しなくとも、相手を褒める表現は十分に可能です。例えば、美女(美人)、美男、イケメン等々の言葉を使用しなくとも、実質的に相手の容姿を褒めてあげることは可能なのです。とはいえ、そもそも人格識見などの内面的な属性を度外視してことさら容姿にのみ焦点を当てた人間評価の仕方自体を根本から見直すことも必要でしょう。当講座で幾度も強調してきたように、容姿差別こそ差別の一丁目一番地!だからです。

 

他方、容姿に次いで知性や能力に関する反面差別表現もよく使われ、川勝知事の「失言」もそうした一例であったわけですが、新人向けの知事の訓示なら、他の職と対比することなしに、難関を突破して入庁を果たした新任職人をストレートに称賛してあげれば必要にして十分だったのです。

 

そのように慎重に配慮していれば、「失言」として大きく報じられ、自爆的な辞職に追い込まれることもなかったと思われる残念なケースと言えます。