差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

〈反差別〉練習帳[全訂版](連載第27回)

レッスン4:性別差別(続き)

例題4:
あなたは「男らしさ」という価値を肯定しますか。

 

(1)肯定する
(2)肯定しない
(3)わからない

 近年は「男らしくない男」が増えた?せいでしょうか、「男らしさ」という言葉も以前ほど聞かれなくなった感もありますが、それでも、まだ死語になったわけではなさそうです。「男らしさ」の対語として「女らしさ」という言葉がありますが、日常の使用頻度では「男らしさ」のほうが高いと思われます。
 
 この「男らしさ」という語は、よく考えてみると内容空疎で、ただ漠然と力強さとか勇猛さを象徴する言葉として観念されていますが、それだけにかえってわかった気になりやすく、一人歩きしがちです。その結果、「男らしさ」は単なる精神論を超えて、社会的な力の象徴ともなり、「社会を指導するのは男性であるべきだ」という社会編成上の原理にまで昇華されていきます。
 すでに家父長制が解体された核家族主体の社会にあっても、なおその中心部に男性の姿が圧倒的に目に付くとすれば、それはまだ「男らしさ」のような価値が残されているためと考えられます。しかも、女性の中にすら「男らしさ」という価値を肯定する向きがあるかもしれませんが、それは回りまわって女性自身の地位を低める結果をもたらすでしょう。
 
 ちなみに、「男らしさ」の形容詞形「男らしい」の直接的な対語「女らしい」とは別に、「女々しい」という語―その直接的な対語は「雄々しい(男々しい)」―があります。この「女々しい」には「意気地がない」とか「未練がましい」という意味すらあって、しかも「女々しい男」のように「男らしくない男」の差別的形容としてしばしば使われます。
 「女々しい」は「女々しい女」が消滅した?今日、ほぼ死語に近いとはいえ、女性一般を弱いものとみなす否定的な語であり、今日の意識水準からすれば差別語です。従って、これと実質的な対語となる「男らしい」という表現も、その反面で女性を劣等視する反面差別語と言ってよいでしょう。

 

例題5:
あなたは、男性も子宮移植によって妊娠・出産できる時代の到来を待望しますか。

 

(1)待望する
(2)待望しない

 これはいささかSFじみた例題で、愚問だと思われるかもしれません。最近までの生物学・医学常識によれば、妊娠・出産は女性だけの生殖能力として、「母性」観念の源ともなってきました。しかし、近年急速に進んでいるという子宮移植術がそれを変えるかもしれません。
 アメリカの医学者によれば、男性への子宮の移植は技術的にはすぐにでも実現可能なのだそうです。当面は、生物学的に男性に生まれながら女性への転換を望むトランスセクシュアルの妊娠・出産に対する願望を満たすことができるとされます(外部英文記事外部日文論説参照)。

 子宮の移植が実用化され、男性も妊娠・出産できるようになれば、性別に関する社会の認識が根本的に変わる可能性があります。男性も「母」になれるとするなら、前回見た「母性」という観念も揺らぎます。実際問題としても、「男性の産休」が現実のものとなれば、例えば女性職員が男性職員の産休代用者となるようなケースも増え、両性の平等化は進むでしょう。
 
 本例題で、男性の妊娠・出産能力の獲得を待望しないという男性がいるとしたら、その理由は何でしょうか。妊娠・出産は大変だからという理由なら、そうした難行を女性にだけ押し付けたいという差別意識のゆえとなるでしょう。
 逆に、女性が男性の妊娠・出産能力の獲得を待望しないとしたら、その理由は何でしょうか。妊娠・出産の負担は女性だけが負えばよく、男性は仕事と出世に専念すべきということなら女性の自己差別的な意識のゆえということになるでしょう。

 

例題6:
あなたは、男性も助産師になれるべきだと思いますか。

 

(1)思う
(2)思わない

 この例題は、少しばかり前提知識を必要とします。日本では保健師助産師看護師法という法律で助産師は女性に限定されているため、男性が助産師の資格を取得することが禁じられています。こうした就労資格の性別制限は極めて稀な例であり、同じ法律に規定された保健師や看護師では男性の資格取得が認められていることと比べても特異な性別制限です。
 

 このような憲法違反となりかねない制限が存在する理由としては、男性助産師の需要がないとか、妊産婦が男性助産師に「生理的嫌悪」を覚えるなどの理由が挙げられ、法改正への反対が強いためとされますが、充分に合理的な理由とは言えません。実際、産科医療で不可欠な男性の産科医師は認められており、むしろ男性医師のほうが圧倒的に多いことと比べても不合理と言えます。
 ちなみに「生理的嫌悪」といった理由は、先の「男らしさ」の価値が反転して、ここでは男性が助産に直接的に関わることが生理的に忌避されるという形で男性に対する逆差別に転化される興味深い一例です。

 
 実は、この問題の背景には、前回も見た「女性向き」の職種とみなされる職種では女性に有利な地位が与えられているということが関わっており、女性の活躍場が限られている状況下で、女性の独占職である助産師への男性の参入を認めれば女性を不利にしてしまうという懸念が隠されているように思われます。

 
 その点、レッスン2では取り上げませんでしたが、現状では視覚障碍者が就くことの多いあん摩マッサージ指圧師について、法律が当面健常者向けの養成施設の新設を認めないとしている問題と似ています。
 この規定は視覚障碍者の就労の道が限られている中、あん摩マッサージ師に有視覚者が大幅に参入してくると視覚障碍者が不利になるという懸念に基づいており、最高裁判所もこの規定は憲法に違反しないと判断しました。 

 こうした被差別者の限られた職域を擁護するという考えには一理ありますが、それはまさに被差別者の就労が限られている状況を前提にそれを固定化してしまう効果を持っており、被差別者に利益を与えることで差別構造を維持する利益差別の一種ともなっていると考えることができます。

 

 機微な問題ではありますが、助産師に関しては、少なくとも理屈のうえで男性の就労を禁ずる理由はないと思われます。
 ちなみに、英語でも助産師はミッドワイフ(midwife)と女性を前提とする単語で表されるので、まさに「助産婦」ですが、英米では数はまだ少ないながら男性助産師は認められているとのことです(外部記事)。結局、この問題も、両性平等の進展度と密接に関わっていることが窺えます。