差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

〈反差別〉練習帳[全訂版](連載第43回)

レッスン9:年齢差別

レッスン9では、差別の三丁目三番地に当たる年齢差別に関する練習をします。

 

例題1:

[a] 雇用に際して年齢に上限を設けたり、年齢の若い者を優先採用したりすることは合理的だと思いますか。

 

(1)思う
(2)思わない

 

[b] 雇用における定年制はあったほうがよいと思いますか。

 

(1)思う
(2)思わない


 設問[a]は雇用の領域における典型的な年齢差別の事例です。現にこのような差別を受けて職が見つからず、生活難に陥るという事態も少なくないかもしれません。それにしても、なぜ雇用上の年齢差別が根絶されないのでしょうか。その要因は、設問[b]の定年制とつながっているようです。
 
 おそらく設問[a]で年齢差別的な雇用慣行に否定的な回答をした人の多くも、設問[b]では従来雇用慣行として確立されてきた定年制には肯定的な回答をするのではないかと推測されます。しかし、それは果たして一貫した論理と言えるのでしょうか。
 実際のところ、定年制自体、年齢のみを理由に一律に労働者に退職を強いる差別的な制度ですが、ここでは高齢者=職業的無能力者という能力差別的な決めつけもなされているわけです。
 そして、こうした年齢‐能力差別的な定年制を土台として、[a]のようないわゆる現役世代に対する年齢差別慣行も成り立っているわけですから、定年制を合理的と考えるならば、定年に近い年齢であればあるほど採用されにくいという現実は受け入れざるを得ないことになります。
 
 定年制を合理的と考える理由として、定年制がなければ高齢者がいつまでも居座ることによって、新卒者の就職が困難になるという問題が挙げられるかもしれません。
 たしかに一理ありますが、逆に新卒一斉採用‐定年制という画一的な雇用慣行―これは日本社会では際立って強固に定着しています―のために、新卒で就職を逃すと、年齢が上がるほど設問[a]のような年齢差別を受け、就職が困難になるという連鎖が生じてきます。
 それを考えますと、加齢が業務遂行を困難にする一部の職種を除いて、定年制を廃止し、もって年齢差別的雇用慣行全般を廃したほうが、人生設計に柔軟性が生まれ、すべての人にとって有利になるでしょう。
 
 その点、近時は年金財政の逼迫を背景として、年金受給開始年齢引き上げの代償としての定年制廃止論(または定年延長論)も起きています。しかし、これは当面の財政経済事情に対応するための「対策」レベルの話であって、「誰もが年齢にかかわりなく就労できるようにする」という雇用における年齢差別解消策とは全く異質の論です。
 これでは形の上で定年制が廃止されたとしても、高齢者の雇用は多くの場合、低賃金の不安定労働にとどまり、無年金を補うだけの効果は得られないでしょう。
 
 ところで、定年制を廃止してもなお残存するかもしれないタイプの年齢差別があります。その一つは、「中高年者は若年者に比べ、体力的にも知的にも劣る」というストレートな能力差別的認識に基づく差別です。
 このような認識は一見すると常識的に思えてきますが、必ずしもそうではありません。たしかに体力的には若年者が勝りますから、体力勝負の肉体労働における若年者優先採用は差別とは言えませんが、知的労働に関してはそうとは限らないのです。

 その点、以前の記事で、成人向け反差別教育に関連して述べたことですが、人の知性(知能)には、新しい環境に適応するために、新しい情報を獲得し、それを処理し、操作するのに必要な処理の速度、直感力、法則を発見する能力としての「流動性知性」と、個人が長年にわたる経験、教育や学習などから獲得していく言語能力、理解力、洞察力などを含む「結晶性知性」とがあります。
 
 両者の関係性として、いずれの知性も成長過程で伸長するのですが、「結晶性知性」は成人以降も上昇して60代でピークを迎え、高齢になっても安定している一方、「流動性知性」は10代後半から20代前半にピークを迎えた後は低下の一途を辿るとされています。そうだとすれば、「結晶性知性」を要する職種に関しては、むしろ中高年者のほうが適任とさえ言えるわけです。

 
 定年制と無関係に残存するもう一つの差別事象は、とりわけ女性の雇用に際しての年齢差別です。この場合は、若い女性に囲まれて仕事をしたい男性管理職層の隠された欲望が根底にあり、その本質はレッスン4で取り上げた性別差別です。
 
 ただし、職場によっては男性の採用に際しても、中高年者より見栄えの良い若い男性を優先採用する慣行を持つところもあり得ますが、そうした場合も含めてとらえれば、定年制と関連しない年齢差別は、レッスン1で見た容姿差別の問題につながることになります。
 後に別の角度から再検討しますが、高齢(高年)者は能力ばかりでなく、容姿の衰えという観点からも差別される存在と言えるのです。