差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

〈反差別〉練習帳(連載補遺4)

レッスン番外編:動物差別

〔まとめと補足〕

 レッスン番外編では、動物差別と題して、動物に対する人間の様々な扱い方を反差別の観点から考える練習をしましたが、例題で扱った問題の多くは、差別というより動物愛護の問題ではないかと思われる向きがあるかもしれません。たしかに、動物の虐待や無用な殺傷などは動物愛護の観点からも問題とされます。

 動物愛護は近年、国際的にも高まりを見せており、各国で法令の整備も進んでいますが、これは人間の領域でいう人道主義と似ています。人間の場合も、ホロコーストのような人種差別的な大量殺戮はもちろん、例題でも触れた人間動物園のような娯楽も反人道的とみなされます。そうした人道主義の動物版が動物愛護だとも言えるでしょう。


 ただ、人道主義はまさに反人道犯罪に相当するような罪悪を排除するうえでは有効ですが、日常に構造化された差別慣習、例えば差別の一丁目一番地である容姿差別のような事象になると、容姿差別が即反人道的とは言えないので、人道主義では対処し切れません。

 同様に、動物愛護では例題の最後に見た動物園という施設の是非といった問題には対処し切れないでしょう。まともな動物園であれば飼育下の動物は大切に愛護している以上、動物園という施設自体が動物愛護に反するとは言えないからです。


 人間至上主義とそれに基づく動物に対する人間の扱い方全般を問題とするには、動物愛護を超えて、反動物差別という視座からとらえ直す必要があります。これは、人間に対する差別問題について人道主義を超えて反差別という視座からとらえなければならないのと同様です。

 そのことによって、未開とみなされる人間の部族や一部の犯歴者に対してしばしばなされてきた人間の動物視という形での差別の問題にも切り込むことができるようになります。そうしたカテゴリーに属する人間は動物視されることにより、人間としての扱いを否定されがちだからです。


 いずれにしましても、動物差別という問題はまだ差別問題としては熟していないので、本連載では番外の扱いとしましたが、将来、本編に昇格した際には、国籍差別と犯歴差別が含まれる「余所者への差別」の三番目―全体ではレッスン12―に組み込まれることになるでしょう。

 動物は人間にとってはそもそも生物としての種が異なる「余所者」ですから、外来の余所者として扱われる外国籍者や、その罪悪のゆえに共同体内の異分子として排除される犯歴者と同様に、共同体の外部の存在者とみなされます。そのため、動物差別とは広い意味での「余所者」への差別と位置づけられことになります。


 とはいえ、将来、レッスン12が増設されることは望まれません。それは人間への差別も未だ克服されていないことを示しているからです。レッスン12が増設される前に人間に対する差別が全般的に克服されれば、当連載自体の存在意義が失効します。その日が来ることを願って、稿を閉じます。