差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

〈反差別〉練習帳(連載補遺1)

レッスン番外編:動物差別

 ここからは、差別の番外地として、動物に対する差別(動物差別)を取り上げます。動物差別とは、人間による(人間以外の)動物に対する差別のことを意味します。典型的には、人間が動物を人間より劣った生物種とみなし、不利益な扱いをすることですが、動物の中の特定の種(例えば哺乳類)のみを偏愛し、優遇することも動物差別の一環に含まれます。


 従来、差別と言えば、人間が他の人間を差別することが想定されており、動物に対する「差別」という問題意識はありませんでした。しかし、環境問題の一環である生物多様性に対する認識が深まるにつれ、動物を狩猟、食用、使役、愛玩する対象物としてしかみなしてこなかった人間の動物に対する劣遇的な扱いが反省される中で、動物差別という問題意識が浮上してきます。

 

 ただし、本連載は環境問題を主題としていないので、ここではむしろ動物差別を人間に対する差別の延長で考えていきたいと思います。その点、レッスン11で犯歴差別を取り上げましたが、犯歴者は「犯罪者」としてしばしば「鬼畜」などと動物視され、拷問や死刑にかけることが正当化されてきたカテゴリーです。

 

 こうした人間の動物視は、近代啓蒙思想の祖として名高いジョン・ロックでさえ、「人間はライオンやトラなど野生の獣とともに社会を形成することもできないし、安全を確保することもできないのであり、こうした獣を殺してもよいように、犯罪者を殺すこともできるのである」と書いているほど、犯罪者に対する非人間的な扱いを正当化するロジックとして働きます。その根底には、まさにロックが明言しているように「野獣は殺してもよい」という動物差別の視点があります。

 

 また、かつて奴隷取引の対象とされたアフリカ黒人についても、奴隷商人や奴隷所有者らは黒人を動物とみなしており、まさに家畜と同様に売買の対象として取引し、動物と同様に懲罰として鞭打つことを正当化していたのでした。

 

 こうしたことからも、動物差別は人間差別と思想的につながっていることがわかります。逆に見れば、動物差別を克服することによって、各種の人間差別を克服する道も拓かれるでしょう。

 ただ、動物差別に関してはまだ定見と言えるものが形成されていないので、ここでは本連載の本編からは切り離して練習することにしました。練習の方法は同様で、選択式の例題を通じて具体的に考えていく方法によります。

 

例題1:
あなたは、人間は人間以外のあらゆる生物より優れていると思いますか。


(1)思う
(2)思わない

 

 単純な問いですが、これこそが動物差別問題の原点となる問いです。この問いで「(1)思う」と回答する人は、人間が生物界の頂点に君臨すると考える「人間至上主義」という思想を抱いていることを意味します。
 人間差別において、「至上主義」は自身がそこに属すると認識する特定の人種や民族を優越視する思想として差別思想の典型例ですが、人間を優越的な生物と認識することも、生物学的な至上主義思想となります。

 

 では、なぜこのような思想が生まれるか言えば、それはホモ・サピエンス(=賢いヒト)という現生人類の正式学名にも見られるとおり、人間は高等知能を有する最も賢い生物種であるという自己認識に由来しています。

 

 人間が高い知能を持つ生物学的要因として脳の特徴的な進化、特に大脳の発達があることは確かですが、2020年から3年に及んでいる新型コロナウイルスパンデミックでは、脳どころか細胞すら持たないウイルスのような原始的生命体がまさに大脳を駆使して人間が開発したワクチンをすり抜けて短期間で進化していくという現実を人間は目の当たりにしました。

 

 これは、人間が誇る頭脳が完璧なものでないことを示す苦い反省材料です。およそ生物種の能力評価は、脳にばかり着目する「脳中心主義」ではなく、感覚機能や運動機能などを含めて、より総合的にとらえるべきでしょう。そうすれば、人間が文句なしに至上の種であるとは言えなくなります。

 

 「脳中心主義」は、人間差別においても、レッスン7で取り上げた知能差別の根底にあって、それ自体も優生思想の一環を成します。そのため、人間の知的障碍者や学習障碍者などは犯歴者のように動物視こそされないまでも、脳の発達が遅れた劣等者とまなざされ、差別される要因となるのです。
 こうしてみると、「人間至上主義」の克服は、動物差別のみならず、人間差別の克服にとっても、一役買うことになるでしょう。