差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

〈反差別〉練習帳[全訂版](連載第5回)

二 差別の要因(続き)
 差別は人間特有の美/醜の価値判断と結びついた劣等視の視線に根本要因があるということを見てきましたが、具体的な差別の発生要因は、より複雑です。
 
命題7:
被差別者自身が自らの被差別特徴を劣等視し、自らを差別すること(自己差別)がある。

 
 差別は一方的な加害行為として生じるのではなく、差別を受ける側(被差別者)の自己差別と組み合わさっていることが多いです。
 こうした自己差別という現象は、差別の結果であると同時に、その要因でもあります。この場合、自己を差別する被差別者自身が差別事象を受容してしまうことによって、差別する側と心ならずも共犯関係に立っているのです。
 
 その最もわかりやすい一例はやはり容姿差別です。容姿の醜さを理由に人を差別する場合、差別される人も自身の容姿の醜さを自認し、劣等感に苛まれていることが少なくありません。そのために、生命の危険を伴うようなものまで含む美容術が盛行するわけです。特に容貌そのものを作り変えてしまう美容整形手術などはそうした自己差別的行動の極致と言えるでしょう。
 また、白人優越主義の下で差別される黒人が自らの肌の色を劣等視して、白人への変身願望を抱いたり、ことさらに白人のパートナーを持とうとしたりすることも、そうした自己差別の一種です。
 そのほか、被差別民族が自らの民族的出自を恥じることや、同性指向者が自らの性的指向を破廉恥とみなすこと、女性が自らを男性に奉仕すべき存在とみなすことなど、自己差別の事例は非常に多いです。
 
 なお、これらの自己差別と区別すべきものに、差別から自身を守る自衛行為があります。例えば、顔面に目立つあざやこぶがあるといった人は容姿差別の標的とされやすいですが、こうした場合、差別を避けるために医学的に正当かつ安全な形成手術を受けることは自己差別ではなく、一つの自衛行為となります。この場合、手術を受ける人は自身の容姿を醜いとみなしているのではないからです。
 同様に、被差別民族が差別を避けるために自身の民族的出自を隠したり、同性指向者が自身の性的指向を隠したりすることも、自らの被差別特徴を劣等視するわけではないから、自己差別には当たらず、正当な自衛行為となります。

 

命題8:
自らに劣等感を抱く者が劣等感を反転させ、他者への積極的な差別行為に及ぶこと(反転的差別)がある。

 
 自己差別は精神的な苦悩を生み出すため、それが内攻すれば精神病理を惹起することすらありますが、それを回避するため、かえって外部にはけ口を求めて他者差別へ向かうことがあります。
 こうした反転的差別の主体は自身が被差別者であることも多いですが、被差別者でない場合もあります。いずれにせよ、これは主要な差別事象で広く見られる差別の最も深刻な深層心理的要因を成しています。
 
 この反転的差別の最もわかりやすい例は、ここでも容姿差別です。容姿差別は自己差別を土台にして、今度は自己よりも容姿が劣っているとみなされる他者の容姿を劣等視するという反転的差別を生み出しやすいからです。
 というよりも、容姿差別では実は自らも容姿に劣等感を抱く者—実際に差別されているとは限らない—が差別の主犯格となっていることが圧倒的に多いとさえ言えます。あえて言えば、凡庸な容姿の人間が、自分よりも劣ると見たブス、ブサイクやデブ、チビ等々を差別するのが容姿差別の実態なのです。
 
 反転的差別のより政治的な事例として、戦前日本で支配的となり、現在でも尾を引く大和民族優越主義を挙げることができます。大和民族(日本人)は人種的には「有色人種」として白人から劣等視される立場で、実際、明治維新後の近代化の過程では対欧米コンプレックスに悩みましたが、かれらはそこから反転攻勢に出て、周辺のアジア諸民族に対する優越意識を高め、それを精神的なバネ(エートス)として帝国主義的植民地支配体制を樹立し、強大な軍事力をもって米欧と大戦を繰り広げるまでに至りました。
 
 これは被差別者による反転的差別の例ですが、被差別者でない者による反転的差別の歴史的な事例として、欧州におけるユダヤ人差別があります。
 ユダヤ人差別の主体となる欧州人はもちろん欧州社会の主役であって、被差別者ではありませんが、少数民族ユダヤ人は中世以来、欧州各国に散らばりつつ、各界で高い地位に就く者も少なくなく、経済界では金融家として王侯貴族や商人に金を貸し付け、債権者としても勢力を持っていました。
 こうしたユダヤ人に対して、欧州人は秘かに劣等感や負い目を抱いていたのですが、それを反転させてユダヤ人を劣等視するようになります。その際は、キリスト教至上の宗教的優越意識がエートスとして利用されましたが、ユダヤ人差別を単なる宗教問題として片づけることはできません。
 こうした反転的差別としてのユダヤ人差別の本質を文芸作品としてリアルに描いてみせたのが、シェークスピアの有名な喜劇『ヴェニスの商人』です。この作品は、ユダヤ人金融業者から「借金が返済できなければ債務者の人体を1ポンド切り取る」という非常識かつ非道な証文を取らされたイタリア人実業家とその支持者たちが、謀略的ないかさま裁判で勝訴し、ユダヤ人金融業者をやっつけるというハッピーエンドで、筋書きの全体が反転的差別を表現していると言ってよい作品です。
 時代下って、20世紀に登場したドイツのナチスはこうした欧州社会伝統の反転的なユダヤ人差別をベースとしながらも、より積極的にアーリア人種優越主義なる人種理論を仕立ててユダヤ人絶滅という民族抹殺作戦に打って出ることにより、反転的差別の極限的な暴走を示したのです。


 また、近年の白人優越主義者は、有色人種に対する白色人種の優越性というよりは、白人社会が有色人種に浸食されているという被害者性を強調することが多くなってきましたが、これなども、近年の人種的平等の進展により、欧米社会の指導層に有色人種の姿が目立つようになり―その象徴が2009年に史上初めてアフリカ系のアメリカ大統領となったバラク・オバマ氏―、有色人種に指導される立場となった白人層が劣等感を抱き始めたことが要因でしょう。言わば、白人優越主義がユダヤ人差別と同型の劣等感ベースの差別に変化してきたものと言えます。

 

命題9:
差別は、被差別者が差別者となって、新たな差別を生み出す連鎖性を持つ。

 
 少し長くなりますが、最後に、以上の命題7及び8をより一般化しますと、差別の連鎖性という法則を導き出すことができます。すなわち、差別は連鎖するのです。
 そうした差別の連鎖性が歴史的なスパンをもって続いている事例として、ユダヤ人国家イスラエルによるアラブ人(パレスチナ人)差別があります。
 欧州のユダヤ人差別はナチスによるユダヤ人絶滅という『ヴェニスの商人』どころでない惨劇に行き着いた衝撃から、戦後は差別克服の努力が進み、今日のユダヤ人は固有の国家を持つに至りましたが、その「解放」されたユダヤ人が今度は国土防衛を名分として本来は近縁な存在であるアラブ人を差別する側に回るという一種の反転的差別を経て、差別の連鎖が起きているのです。
 
 こうした歴史的な事例に限らず、差別は多くの場合、差別の被害者が加害者に転じる形で連鎖していきます。本連載の実践編では、容姿、障碍/病気、人種/民族、性差、性自認性的指向、知能、職業、年齢、外国籍、犯歴という11の個別的な差別事象を取り上げますが、ほとんどの人がこのうちどれか一つの分野で被差別のカテゴリーに該当し、なおかつ最低どれか一つの分野では差別する側にも回っていると断言して憚りません。

 いや、私は容姿秀麗な健常者かつ健康体の日本民族である。男性自認の異性指向者で、知能も人並み以上、立派な職に就く壮年である。日本国民であり、犯歴もない。よって、自分は常に差別する側、差別の連鎖の外にあると言い切る方も、ひとたび海外へ出てみられれば、白人優越主義者から差別される存在なのです。
 そもそも、どんなに完全無欠に見える人でも、くまなくあら捜しをすれば、最低一つは被差別特徴を見つけ出すことができます。そのような嫌味な作業はしたくありませんが、筆者は、当講座の勝手講師となって以来、図らずも、そうした他人のあら捜しの名人になってしまいました。

 

命題10:
差別は差別者が被差別者となり、被差別者が差別者となる形で連環する構造を持つ。

 
 ここで、命題9の補足命題として、差別は差別者→被差別者→差別者の連環構造を持つという命題もあげておきます。
 その典型例もまた容姿差別です。例えば、他人をその容姿のゆえに差別する者が別のところではその容姿のゆえに差別されたり、他人からその容姿のゆえに差別される者が当の差別者たる他人をその容姿のゆえに差別することさえあります。
 また、白人が非白人を差別し、その白人を非白人が「白ブタ」などという言葉で差別する例もこの連環構造の一種です。
 このように、差別は最終的に差別者自身に帰ってくる構造を持つので、決して他人事ではないわけです。