差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

〈反差別〉練習帳[全訂版](連載第48回)

レッスン10:国籍差別(続き)

 

例題3:
テレビ番組のコメンテーターが、番組の中で「近年、外国人犯罪が急増している」と発言したとして、あなたはこの発言を信じますか。

 

(1)信じる
(2)信じない
(3)わからない


 外国人と聞いたときに「非外国人」である国民が思い浮かべがちなのは、「外国人犯罪」です。次のレッスン11で取り上げるように、「犯罪者」はほとんど体感的に差別・排斥されるカテゴリーであるため、外国人を事実上犯罪者と重ね合わせることで、外国人差別が助長されていきます。
 では、国民がどこでこうした差別的な観念を植え付けられるかと言えば、学校教育ではなく、マス・メディアの報道を通じてであると考えられます。
 

 今を遡ること20余年前の2000年4月、作家としても著名だった石原慎太郎氏が東京都知事の時、自衛隊の記念式典で、「今日の東京をみますと、不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している」云々と演説したことがありました。
 このような発話は厳しい批判を浴びると同時に、多くの賛同も寄せられたとのことで、一般大衆の間にある外国人差別意識の根強さを示す事例でもありました。この発話自体は一人の政治家の演説の中でなされたものでしたが、それがマス・メディア、さらにはインターネットを通じて拡散されることで浸透していきます。拡散されることで批判も受けますが、同時に賛同も広がってしまうのです。
 
 ところで、石原発話中、現代では聞き慣れない「三国人」とは終戦直後、日本の支配下から解放され独立した朝鮮や台湾の出身で、植民地解放に伴い、日本国籍を喪失したまま日本本土に残留し、実質的な移民となっていた人々を疎外的に呼んだ差別語ですが、今日では日常まず使用されない死語と化しています。
 当時の石原知事がそのような古めかしい差別語を20世紀最後の西暦2000年という節目の年にわざわざ復活させたうえ、「凶悪犯罪」と結びつけてみせたのは、日本の首都のトップによる朝鮮人や台湾人等への民族差別宣言と受け取られてもやむを得ないものであり、この点が特に強い批判の対象とされたのは当然と言えます。
 
 しかし、よく考えてみると、石原発話の本旨は「三国人」と並べて言われた「外国人」全般が「凶悪犯罪を繰り返している」として“常習凶悪犯罪者”(?)に仕立ててしまった点にあると思われます。
 これならば、例題のコメンテーターのコメント「近年、外国人犯罪が急増」という聞いたことのある言説の亜種となります。そして、石原発話に対する都民の賛同も、「三国人」の部分よりは、こちらの言説へこそ向けられていたのではないでしょうか。なぜ大衆が聞いたことがあるかと言えば、マス・メディアやインターネット上でそのようなコメントがしばしば流布されるばかりでなく、マス・メディアが外国人による犯罪事件を好んで取り上げること自体も大いに影響していると考えられます。
 
 こうした言説の特徴は、「近年」とか「急増」といった言葉で緊迫感を掻き立てるところにあります。しかも、根拠となるデータはほとんど示されません。そのため、かえって評論家、弁護士、ジャーナリストといったコメンテーターの肩書きの権威と相まって、ご託宣のようにある種の神秘的な説得力を持ってしまうのです。
 私たちがこうした言説の「神秘化」に乗せられないようにするには、データを示さない専門家の断定的コメントを無条件には信じないこと、そして自らも可能な限りで関係資料に当たってチェックする癖をつけることが最低限の注意則となります。そのうえに、データが示されていても、その出典データや出典そのものの信頼性や正確性、さらにコメンテーターのデータの読み方に誤りや歪みがないかどうかといった点までチェックできればなおよいでしょう。
 
 それでは、例題のコメント「近年、外国人犯罪が急増している」は果たして正しいのでしょうか。本連載は犯罪情勢を主題とするものではないので、検証は保留とします。ぜひ各自でお調べをいただければと思います。

 

例題4:
不法入国者でも一定期間国内で平穏に暮らしてきた者には合法的な滞在権を保障する」という趣旨の改正法案が提起されたとして、あなたはこの法案を支持しますか。

 

(1)支持する
(2)支持しない


 これは不法入国者に対する免責制度に関わる例題です。すなわち、入国時に密航などの違法行為があっても、その後の行状を考慮して問題なければ改めて合法的に滞在させようという制度です。

 とはいえ、正規の手続きによらない入国はすべての国で犯罪行為とされており、免責制度のようなものがなくとも、直ちに外国人差別だと断じられません。

 元来、近代の国民国家は国民と外国人とを峻別し、基本的な権利に関して国民を外国人よりも優遇する本質を持っています。従って、国民が自国に居住できることは自明の権利ですが、外国人が滞在できるのはあくまでも国の許可に基づくにすぎず、不法入国者には滞在権が存在しません。
 例題の不法入国者免責制度はそうした伝統的な考え方の大転換という意味を持っているため、支持しないとする回答が圧倒的多数を占めてもおかしくはないでしょう。
 
 とはいえ、不法入国した外国人夫妻が摘発され、日本で生まれ育ったため在留特別許可が出された子だけを残して本国へ送還されたという実例(2009年フィリピン人夫妻の事案)を知れば、判断に迷いが生じるのではないでしょうか。
 この夫妻は不法入国後は犯歴もなく日本社会に事実上定着していただけに、免責制度があれば―制度がなくとも、法務大臣の在留特別許可の権限は裁量性が強いので、事実上免責することもできた―、家族を引き裂くことなく、救済できたケースです(ただし、免責が認められる法的条件を厳しく設定するなら救済できない場合もあります)。
 
 免責制度を支持しない人はおそらく不法入国という犯罪行為をことさらに重く見るのでしょうが、これは入国の手続き違反であり、人を殺傷するような重大犯罪とは性質の違う形式的な犯罪です。
 合法的に入国しておいて重大犯罪を犯す外国人と、不法に入国した後は平穏に暮らしてきた外国人とどちらが社会にとって脅威であるかを実質的に考量してみましょう。そのような冷静な考量は、排外主義的な衝動を抑制するうえでも有効です。

 
 そうした意味からは、「不法入国者」とか「不法滞在者」といったいかにも排外的な用語もそれ自体として差別語とは言えないものの、こうした用語を乱発することは外国人差別を助長する可能性があります。少なくとも「不法滞在者」という用語は「非正規滞在者」といった別語に言い換えが可能と思われます。