差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

容姿差別―他人事か

報道(SAPIO→NEWSポストセブン)によると、韓国では容貌差別(広くは容姿差別)が深刻な社会問題だという。以下、記事を引用してみよう。
 
現代韓国社会最大の差別は“容貌差別”・・・だ。容貌で就職や結婚をはじめ人生の行方が決まる。だから最近は男性も就職シーズンになると整形手術する人が増える。韓国はしばしば外国から“整形天国”などと皮肉られるが、その背景にはものすごく厳しい現実があるのだ。
 
 お隣では大変なことになっているようだが、筆者がひっかかったのはここではなく、次の引用箇所である。
 
日本に一時帰国の折、東京の丸の内や大手町、虎ノ門あたりに出かけて感じるのだが、サラリーマンもOLも美醜から体形まで実にデコボコで多様なのだ。これは韓国に比べての話だが、日本社会の人間評価における多様性を象徴しているように思う。これは守らなければならない。

 果たしてそうだろうか。韓国へ行ったことのない筆者には自分の目で「東京の丸の内や大手町、虎ノ門あたり」と比較することができないのだが、これまでに受けてきた個人的な容姿差別の体験からすると、記事が指摘する「日本社会の人間評価における多様性」には相当な留保が必要なように思えてならない。

 たしかに、男性まで含めた「美容整形ブーム」のような社会現象は日本社会では確認されていないかもしれないが、雑誌やテレビ、ネットにも「美人(女)」「イケメン」、その反面としての「ブス」「ブサイク」など専ら容貌に着目した人物形容が普通に溢れている現状を見れば、日本社会の人間評価でもまず容姿第一の価値観は深く浸透していると言ってよいのではないか。

 むしろ日本の場合には、他の差別と同様に、容姿差別もベールで隠され、目につきにくい分、かつて別稿でも指摘した「摩滅感」のような独特の心理的圧迫を被差別者に与えているのではないだろうか。

 いずれにせよ、繰り返し述べてきたように、容姿差別は差別の一丁目一番地。韓国社会を特異的とみなすのではなく、容姿差別はそこら中に遍在する問題だという認識を持ちたい。その点で、上掲の日韓比較記事の視点には疑問が残るのである。