差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

遺伝差別について(下)

遺伝子検査では、表面からは見て取れない個人の多種類の膨大な情報が取得できるため、そうした個人の内的情報を利用した種々の差別が科学的な根拠付けを伴って行なわれる危険があるのであった。そうだとすると、そのような危険な遺伝子検査自体を差別とみなして全面的に禁ずるべきではないか、という先鋭な問題意識が生じてもおかしくない。
実際、人間はあまりにもいろいろなことを知りたがりすぎるのではないか━。考えてみれば、遺伝子検査のベースにある遺伝学自体、人間のとどまることを知らぬ探究心の産物にほかならなかった。遺伝学は人間の知的世界を革命的に激変させたと言って過言でない。それによって、人類は危険な道に踏み込もうとしているようにも見える。まさに禁断の果実である。
とはいえ、各人には自分自身でも未知の内的情報を知る権利はある。遺伝子検査はそうした知る権利に答える一面を持つので、これを全面的に禁止するという社会的合意は得られにくいだろう。従って、遺伝子検査そのものの禁止ではなく、その活用法の規制によって対処するのが現実的と思われる。
その点では、胎児の出生前検査に類似した問題状況にあると言える。出生前検査も妊婦にとっては胎内の状態を知る権利に答える検査であるが、その活用法によっては障碍者差別につながる恐れがあるからである。
もっとも、出生前検査の場合は、障碍胎児の中絶という「命の選別」に直結することから、そのような検査自体が差別であるという批判にも相応の理由はあるが、遺伝子検査の場合には「命の選別」の問題はさしあたり生じない。
ただし、遺伝子検査によって判明した特定の遺伝病を持つ者が中絶したり、子どもを任意に作らないといった行動を採ることが一般化した場合には、同様の問題を生じる。
このような差別惹起性の高い検査については、まず何よりもその受検を強制することは、いかなる理由があれ、禁じられなければならない。つまり受検の任意性の絶対的な確保である。
そのうえで、任意受検の場合でも、検査データの厳重な守秘に加え、データの差別的な利用の絶対的な禁止が明確にされなければならない。その点で、よく問題となる民間保険加入についても、遺伝病ないし遺伝的体質のみを理由として加入を拒否することは禁止されるべきである。
このような遺伝子検査データの利用規制は検査機関・企業任せにすべきではなく、立法による法的な準則化が必要であるが、それは包括的な反差別法による総論的規制にとどまらず、遺伝情報管理に関する特別法による罰則付きの厳正な規制でなければならない。
こうした法政策に加えて、遺伝に関する科学的に正確な知識の普及も必須である。それは学校における狭義の理科教育を超えた反差別教育の一環としてもやらなければならないし、また遺伝子検査機関や医療機関における受検者へのカウンセリング義務付けも必要であろう。この点で、日本の現状遺伝子検査は希望者のみに任意のカウンセリングを提供するのみで、ほぼ「やりっ放し」の状態であるのは、問題である。