差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

〈反差別〉練習帳[全訂版](連載第15回)

実践編

レッスン1:容姿差別

最初のレッスン1では、差別の一丁目一番地に当たる容姿差別に関する練習をします。

 

例題1:
あなたが道を歩いていた時、向こうから顔面に目立つ大きなこぶのある人(性別は問わない)が歩いてきて、すれ違った。あなたならどうしますか。


(1)視線をそらす
(2)視線を当てる
(3)あざ笑う
(4)つばを吐く
(5)その他(自由回答)


 最初の問題は、「こぶとり爺さん」の説話のような例題です。はじめに反差別の観点から各選択肢の意味を説明しておきますと、例題の状況設定では、(3)「あざ笑う」と(4)「つばを吐く」が明らかな差別行為に当たります。
 特に(4)「つばを吐く」は差別的意図をもって相手に侵害行為をしかけるものですから、被害の程度は軽微とはいえ一種のヘイト・クライムに当たります。それに対して(3)「あざ笑う」はそれ自体として違法性はありませんが、これも明らかに相手の容貌を侮辱する身振りですから、態度による差別行為となります。
 
 微妙なのは(2)「視線を当てる」です。好奇の視線は蔑視とは異なるので、きわどいところで差別性を免れています。しかし、顔に大きなこぶがあることを「奇」として興味本位の視線を当てるのは、差別まであと一歩の前差別行為とも言えます。
 一般に、見知らぬ人からの好意的でない視線が心理的圧迫になることは、感覚的に理解できるでしょう。「見られている」ということへの過剰な意識から、他人の視線が気になって外出することもできなくなることさえあります。こうした状態を精神医学では「視線恐怖症」などと呼び、精神疾患に分類しています。ただ、容姿差別が社会に遍在している限り、視線恐怖には根拠となる現実の体験がある場合も少なくありません。単なる「気のせい」ばかりではないのです。
 
 その意味からしても、(1)の「視線をそらす」は本例題の(1)から(4)までの選択肢の中では相対的に最も無難な差別回避行為であって、せめてこれを選択したいところです。要するに、「見て見ぬふり」ということで、差別的状況からの逃げではありますが、本例題のように未知の相手と偶然に出会ったというシチュエーションでは、このような逃げも一つの良心的な行為と評価できるでしょう。ただし、あなたが視線をそらせたということに相手方が気がつけば、傷つく可能性は残ります。
 
 最も適切な差別回避行為は、そもそも相手を「見ない」ということです。そもそもすれ違う通行人を「見る」必然性はあるのでしょうか。筆者の印象によると、日本人はすれ違う通行人をしばしば「見る」のに対して、外国人はほとんど見ません。この違いの理由はよくわかりませんが、日本人は前近代以来、相互監視の習慣を身につけさせられていて、何らかの異分子を「発見」しようとすることが無意識の癖となっている可能性がありそうです。そうだとすると、このような心の習慣は差別を助長する要因となると言えます。異分子は差別の標的となりやすいからです。
 
 さて、本例題に関して模範的な包容行為と言えるのは、「見ても何とも思わない」です。(5)を選択してこのように自由回答された方は素晴らしい。
 顔面に大きなこぶがあるという人を通常の容貌の人より劣等的とまなざしたり、その同情バージョンとして「可哀そうな人」とまなざす価値観・意識はおそらく人類共通に近いかもしれません。このように特定の人間をただ外見だけで劣等視するということこそ、あらゆる差別の出発点となります。従ってまた、この価値観・意識を変えることが差別克服の出発点でもあるわけです。その意味で、例題1は極端な事例に見えて極めて重要です。

 
 ちなみに、「こぶとり爺さん」の説話にも登場する顔面の大きなこぶの隆起は、医学的には頸部顔面病変と総称される疾患の症状とされるので、この事例はレッスン2で見る病者差別の事例とも重なってきますが、視覚的にも非常に目立つ容貌ということから、容姿差別の筆頭事例として設例したものです。

 

例題2:
[a] あなたの結婚相手の候補者として、容姿以外の条件に関してはどちらも申し分ないが、容姿が悪い甲さんと、容姿が抜群の乙さんの二人の候補者がいるとして、どちらを選びますか。


(1)甲
(2)乙
(3)どちらも選ばない

 

[b] [a]の事例で、容姿以外の条件に関しては容姿の悪い甲さんのほうが容姿抜群の乙さんを上回っているとしたら、どちらを選びますか。


(1)甲
(2)乙

 

 [a][b]いずれの場合でも、甲さんを結婚相手に選んでくださった方は尊敬に値します。世界の人々が一人残らずあなたのような人であったなら、差別はまさに根絶されるでしょう。
 しかし、現実には、かなりの人が容姿抜群の乙さんを選ぶでしょうし、容姿以外の条件に関しては容姿の悪い甲さんが上回っている[b]の場合ですら、少なからぬ人が他の条件には目をつぶってでも容姿抜群の乙さんを選好すると予想されます。
 ただし、[a]の場合のように容姿以外の条件が同等という場合に容姿抜群の乙さんを選択したからといって、直ちに差別だとは言えないでしょう。なぜなら、他の条件が同等のときには容姿の悪いほうを選択すべきであるとしたら、結婚という人生を決定づける出来事の性質上、不当な強制になってしまうからです。
 
 それならば、究極の選択として甲さんも乙さんも配偶者にしてあげたいという包容的な人もおられるかもしれませんが、日本のように法律上一夫一婦制の国ではそれも不可能です。そこで、甲さんも乙さんも回避して、どちらも選ばず、仕切り直して第三の候補者を探すという選択肢も苦肉策としての差別回避行為と言えるでしょう。
 
 これに対して、[b]の場合のように、容姿以外の条件では容姿の悪い甲さんが上回っているにもかかわらず、甲さんを捨てて容姿抜群の乙さんを選択するというのは、明らかに甲さんの容姿を劣等視してあえて容姿以外の条件の良くない乙さんを取るという選択になりますから、差別行為と言わざるを得ないのです。
 
 ちなみに、[b]の設例では[a]のように「どちらも選ばない」という回避策の選択肢を封じてあります。[b]の設例では甲さんか乙さんのいずれかしか選択できないというのは少々意地悪な選択肢の作り方ではありますが、あえてそうしたのは、この設例で乙さんを選択することの差別性をはっきりさせるためでした。


 ところで、本例題では、例題1のように、相手の顔面に何か目立つ特徴があるということではなく、漠然と「容姿が悪い」とか「容姿が抜群」といった描写をしていますが、そうした容姿の判断基準はあくまでも個人の価値観しだいです。あなたから見ての容姿の良し悪しですから、私とは基準が違うかもしれませんし、あなたの周囲の人とも違うかもしれません。容姿の絶対的な判断基準などそもそも存在しないということも、ここで改めて意識する必要があります。