差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

〈反差別〉練習帳[全訂版](連載第35回)

レッスン6:性的指向差別(続き)

例題4:
(同性愛を容認することができないと考える人への質問)あなたが同性愛を容認できないと考える一番の理由は何ですか(自由回答)。

 
 前回まで、一般的に使われる「同性愛」という用語を意識的に避け、「同性指向(者)」という用語を使用してきましたが(その理由は「まとめと補足」で後述します)、最後の例題では、あえてこの用語によって根源的な問題を考察します。同性愛を容認することができる人も、なぜしばしば同性愛者が嫌悪・差別されるかを考えるうえで参考になる例題だと思われます。

 本例題は全面的な自由回答ということで答えはいろいろ考えられますが、大別すれば、次の三つの系統に分類できると思われます。
 
 一つは「同性愛は不道徳だから」というモラル論。これは同性愛者を道徳的欠格者とみなすもので、この理由による同性愛嫌悪が最も激しい同性愛者差別を生んできました。
 特に、キリスト教イスラーム教圏では同性間の性行為は伝統的に罪悪であり、イスラーム圏では最大で死刑を科す国さえも見られます。また、今日の世俗世界ではもはや同性愛を罪悪とはみなさなくなった欧米キリスト教圏でも、しばしば反同性愛者による同性愛者に対する憎悪犯罪としての暴行傷害、殺人事件さえも発生しています。
 日本社会では同性愛を明確に不道徳とみなす観念は希薄と言われるところですが、教育界では学校で同性愛を教えることをタブーとする風潮が強いという事実から、教育者などの間ではなお同性愛=不道徳論が根強いことが窺えます。
 この同性愛=不道徳論の最大の誤りは、同性愛を自らの意思で選択する性的趣向と解釈していることにあります。そのために、同性愛を不道徳とか犯罪とまで認識してしまうわけですが、同性愛は意図的に選び取られるものでなく、生得的な性愛傾向としての性的指向であるということを確認する必要があります。
 (おそらくは)あなたを含む多くの人たちの異性愛が自ら意図して選択したものでないのと同様、同性愛者にとっての同性愛も意図して選択したものではありません。であればこそ、同性愛者は自らの性的指向に苦悩することも少なくないわけです。
 
 こうした同性愛=不道徳論とも共振しつつ、「同性愛は異常だから」という理由での同性愛嫌悪もポピュラーなものです。「同性愛は気色悪い」といった表現をとる場合も、この異常視の系譜の反同性愛言説と言えます。
 理論編でも見たように、こうした異常視はそれだけでは差別に当たらないのでしたが、同性愛=異常視は同性愛を病的な異常性欲とみなすわけですから、これは容易に劣等視を招くでしょう。
 たしかに、かつては同性愛を精神疾患または異常心理とみなし、精神医学的・臨床心理学的な「治療」の適応対象としていた時代もありましたが、今日の精神医学及び臨床心理学において、同性愛は疾患でも異常心理でもないと理解することが定説化しています。それでも、同性愛は普遍的な性的指向とは言えませんが、普遍的でないこと=異常ではなく、単に少数派であるというにすぎません。

 なお、広くはこの異常論の系譜に属する別筋の回答として、「同性愛は無生殖だから」というより生物学的な視点からの回答があるかもしれませんが、これは生物学的な無知に由来する誤謬です。
 実際、女性同性愛者は妊娠能力を持っていますから、精子バンク等から精子の提供を受けるなどして実子を出産することも可能です。男性同性愛者の場合、男性同士で生殖することはたしかにできませんが―ただし、男性の妊娠が可能となれば別(レッスン4例題5)―異性愛者の夫婦でも子供を作らない方針で常時避妊したり、また不妊症のため生殖ができない夫婦も存在する事実を考えれば、同性愛=無生殖論は謬論と即解できます。
 
 一方、近時は衛生主義的な観点に立って、「同性愛は不衛生だから」という理由での同性愛嫌悪が新たに登場してきています。同性愛=不衛生論は、一つにはとりわけ男性同性愛者の間で感染率が高いとされてきた感染症エイズ後天性免疫不全症候群)のイメージが醸し出すものと思われます。
 要するに、衛生思想からする近代的な不浄視の一種ですが、これは病者差別に近い面があると言えます。その限りでは、レッスン2での練習が応用できます。
 しかし、エイズについて言えば、それは同性愛者に限らず、異性愛者にも見られる感染症である以上、性的指向にかかわらない人類共通の感染症問題としてとらえるべきで、それをことさらに同性愛と結びつけようとするのはやはり差別的偏見と言うべきでしょう。