差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

〈反差別〉練習帳[全訂版](連載第25回)

レッスン3:人種/民族差別

〔まとめと補足〕

 人種/民族差別は、歴史上人種隔離・民族虐殺のような最も深刻な反人道的事態を世界各地で引き起こしてきたため、差別問題の主犯格で代名詞のような位置にあります。それにしても、人種・民族という概念は極めて粗雑です。
 一応、人種とは現生人類をその骨格や容貌、肌の色、体型等の形質的な特徴に応じて類型化した分類であるのに対し、民族とは人種とは別に、言語・習俗の共通性を基準とする人間集団の分類であるとされますが、どちらも粗雑でありながら便利な人間の分類基準であるため、長く幅を利かせてきました。
 
 極めて粗雑であるにもかかわらず、否、それゆえにこそ、優生思想と結び合って、政治的に悪用されやすい性質を持ちます。
 人種分類は、白人種(コーカソイドまたはユーロポイド)を優等的として人類の頂点に置く白人優越主義に利用されてきましたし、民族分類も、各国の支配民族(必ずしも多数民族とは限らない)が自民族の優越性を主張して他民族を従属下に置くに際して利用されることが少なくありません。
 
 ただ、民族分類は、まさに従属的な地位に置かれ、民族差別の標的となってきた民族が自己主張し、場合によっては独立を志向する際に逆用されることもあり、いちがいに悪用ばかりされるというわけではありません。しかし、過剰な民族的自己主張が内戦を惹起するような民族紛争につながることもあり、民族分類の功罪は慎重に検証される必要があります。
 その点、理論編でも論じたように、自分で自分を劣等民族とみなしてしまう傾向のある被差別民族がそうした自己差別を克服するうえでの「自己治療」の手段として、民族的アイデンティティーを活用していくことは認められてよいでしょうが、それを超えて民族的アイデンティティーを高調し、行動基準とすることは回避すべきです。
 
 ところで、人種と民族とは、本質的に、どちらも「見た目」による人間の分類基準でもあります。とりわけ人種概念は、主として肌の色や容貌の特徴に着目した分類です。民族概念は言語のような見えない要素にも着目しているとはいえ、特有の服飾のような見える要素をも主要な分類基準としていますから、やはり「見た目」と深く関わっています。
 その意味で、人種・民族間に優劣をつける人種/民族差別は、容姿に優劣をつける容姿差別と本質的に同型の思考パターンによっていることがわかります。
 
 ここでも「全盲の倫理」や「白紙の倫理」を想起し、人種とか民族といった分類基準を棚上げにし、「その人」がどんな人柄なのかということを実質的に見直すことが人種/民族差別克服の道を開きます。
 また、近年はDNA型による遺伝子系譜の研究が進んだことにより、想定以上に人類は交雑していることが判明し、伝統的な人種や民族の分類基準は無効化されつつあります。こうした科学の進展も、差別克服を後押しするでしょう。