差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

〈反差別〉練習帳[全訂版](連載第2回)

理論編
 
一 差別とは何か
 
 差別という語は日常になじんでいると思われますが、差別とは何かということについて突き詰めて考えられることは多くありません。
 例えば、「太っている人には市民権を与えない」というような政策が提起されれば、ほとんどの人は太っている人に対する「差別」だと断言するでしょうが、「所得の高い人には重税を課す」という政策を高額所得者への差別だとは言いません。前の例は「差別」だが、後の例は「差別」ではないとする理由は何なのでしょうか。
 その点、差別とは何かを考える前に、差別とは何でないかを考えてみることが有益でしょう。
 
命題1:
差別とは、単に差を分けること(差異化)ではない。
 
 差別という言葉を文字どおりにとれば、「差を分けること(差異化)」と解釈できますが、このような単なる差異化はいわゆる「差別」とは違います。単なる差異化とは、ただ種類を分けるというだけのことです。一番わかりやすいのは、色鉛筆とか絵の具です。色鉛筆や絵の具は何十種類にも差異化されているけれども、これを「差別」とは呼びません。
 また、企業の経営戦略としてよく使われる「差別化」も、そこで言う「差別」とは専ら同業他社の製品・サービスにない特色を持たせて売り上げを伸ばすということで、やはり単なる差異化の意味です。
 こうした差異化にあっては、差異をつけられた個々の対象に優劣をつけず、本質的に同等のものとみなすのです。例えば、絵の具の赤色と青色ないし黄色の間に優劣関係はありません。
 これに対して、後に挙げた企業の「差別化」になるとやや微妙で、同業他社にない特色を持つ自社製品・サービスの優秀性を誇るという形で、差異をつけた対象に対する優劣評価が混じっているかもしれません。その意味で、これを「差別化」と呼ぶことは一定の意義があるとも言えます。
 では、実際のところ、「差別」とはいったいどういうことなのでしょうか。

命題2:
差別とは、優等的とみなされる人間に対して、劣等的とみなされる人間を蔑視すること(劣等視)である。
 
 詳しく立ち入って分析してみますと、差別とは第一に、差異化した対象に優劣の評価をすることです。
 この場合の優劣評価とは相対評価ですから、標準的なものと比べての劣等評価も含まれます。いずれにせよ、先に述べたように、優劣評価に関わらない単なる差異化は「差別」に当たらないのです。
 
 差別とは第二に、人間を対象とする優劣評価です。
 ここで人間とは、ある特徴を持った一人の個人(例えば、あなたや私)の場合もあれば、一定の特徴を共有する人の集団(例えば、黒人とか日本人、あるいは障碍者等々)である場合もあります。
 いずれにせよ、先に挙げた企業の「差別化」戦略のように、そこに一定の優劣評価が含まれていても、対象が人間でなくモノである場合には、やはり「差別」に当たりません。
 ちなみに、動物の場合には、例えば、爬虫類を哺乳類より劣等視するという形で「差別」が成立する可能性はありますが、話が錯綜するので、ここでは立ち入りません(この問題を扱った番外編参照)。
 
 差別とは第三に、劣等的とみなされた人間を蔑視することです。
 このように、劣等評価された人間を蔑視するということが、差別の中核要素となります。このことをひとことで言い表す最適な単語はなかなか見当たらないのですが、本連載ではこれを「劣等視」と呼ぶことにします。
 そうすると、冒頭で挙げた例のうち、「所得の高い人には重税を課す」という政策は、高所得者に重税の負担を課して低所得者よりも劣位(不利)に扱う施策ではありながらも、高所得者を「劣等視」するものでないことは明らかなので、「差別」に当たらないことになります。
 それに対して、「太っている人には市民権を与えない」という政策は、太っている人を劣等視して市民権を保障しないという重大な不利益を課す明白な「差別」です。
 
 ここで、参考までに、差別に関する法的定義を見ておきますと、日本国憲法第14条第1項には次のように定められています。

すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
 
 この規定は、一般に「平等原則」と呼ばれているように、ここで言う「差別」とは広く不平等な取扱い全般を包括しています。従って、劣等視に限らず、先の高所得者に対する累進課税のようなものも、憲法第14条第1項の「差別」に該当し得ることになります。ただし、実際に憲法に違反するかどうかは、その不平等な取扱いに合理的な理由があるか否かにかかると理解されています。
 
 このように憲法上の「差別」の法的定義が広いのは、平等原則という一般的な視座から差別の法的救済を図ろうとする目的があるためです。従ってまた、憲法では「信条」による差別も救済対象となりますが、本連載ではこのような信条差別は考察対象から除外します。
 なぜなら、例えば「共産主義者は公務員に採用しない」といった施策は、たしかに共産主義者に対する不平等な取扱いにほかならず、憲法違反にはなるでしょうが、共産主義者を劣等視しているのではなく、共産主義という思想を抑圧する政策の一環にすぎないので、本連載で取り上げる「差別」には該当しないのです。
 
 また、憲法ではあいまいにされている「階級差別」も本連載の考察から除外します。「階級差別」は低い階級の者を高い階級の者に対して劣等視するという要素を含んでいるのはたしかですが、それは経済社会構造そのものに関わる問題として、差別問題一般とは別途固有の考察を要するからです。
 ただし、今日の階級社会は「身分」よりも「能力」を指標とする「能力主義」の衣を着ることがますます多くなっていますから、現代の階級差別は能力による差別という形態をとる傾向が強いです。その限りでは、実践編で取り上げる「能力差別」の問題を通じて、階級差別にも部分的な考察が及ぶことになるでしょう。