差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

〈反差別〉練習帳[全訂版](連載第40回)

レッスン8:職業差別

レッスン8では、差別の三丁目二番地に当たる職業差別に関する練習をします。

 

例題1:
[a] あなたはいわゆる「3K仕事」(きつい、汚い、危険な仕事)に就いてみたいと思いますか(すでに就いている人は、続けたいと思いますか)。

 

(1)思う
(2)思わない

 

[b] ([a]の設問で、「思わない」と答えた人への質問)その理由は何ですか(自由回答)。


 「3K仕事」に積極的に就いてみたい(続けたい)という人は多くないでしょう。そのこと自体が差別に当たるわけではありません。問題は、就きたくない(続けたくない)理由にあります。
 その点、多くの人は「大変だから」とか、「自分には向いていないから」といった理由を挙げ、「「3K仕事」は低級だから」という理由を露骨に持ち出す人は少ないかもしれません。それでも無意識のうちに特定の仕事を蔑視しているとすれば、それは無意識的ではあれ、転嫁的差別に当たります。
 
 一般的に、精神労働は肉体労働より「高級」であるという能力差別的な優劣観は社会的に根強く存在すると思われ、肉体労働の中でもとりわけ「3K仕事」は肉体労働を志向する人の間ですら忌避されがちな底辺労働を成しています。
 もっとも、今日、先進的産業社会の「3K仕事」は世襲される特定身分の人々に押し付けられているわけではありませんが、そうはいっても、忌避されやすい「3K仕事」を一部の人たち(たいていは低学歴者や外国人)にしわ寄せしている経済構造は差別的と言わざるを得ないでしょう。
 

 そこで、「3K仕事」には比較的高賃金を保障することで人を呼び込もうという策もあり、現にそのような職もあるようです。これは相対的高賃金を保障することで「3K仕事」の社会的地位を高めることを目指す限りでは積極的差別是正策のようにも見えますが、“賤業”ゆえの人手不足を防ぐための術策という側面が目立ちすぎれば、かえって優遇して差別する利益差別の要素が生じてきます。
 本来、「3K仕事」の中でも危険なもの―危険防止のため一定の技能を要する―は専門資格化し、さほど危険ではないが「きつい」「汚い」ものは「仕事」でなく、全社会成員の「任務」とすることが望まれますが、これは現代の資本主義的な分業体制そのものにメスを入れることを意味するので、〈反差別〉を超えた課題性を有することになります。

 

例題2:
「無職」という肩書きないし属性分類は差別的だと思いますか。

 

(1)思う
(2)思わない


 例題1は特定の職業を持つことが差別の理由となる場合でしたが、今度は職業を持たないことが差別の理由となる場合です。その点、日本社会では「無職」という語がまるでそれ自体一つの肩書きでもあるかのように用いられるため、この用語自体を差別的と思う感覚は希薄かもしれません。
 
 しかし、犯罪報道でよく見かける「住所不定・無職」という表現になるとどうでしょうか。これはたいてい犯罪の被疑者・被告人の“肩書き”のように添えられるもので、「無職」という語が犯罪と結びつけられることによって、いかにも反社会的な人物というイメージを高める働きをしていますから、ここでの「無職」には、はっきりと差別的ニュアンスが込められていると言えるでしょう。
 
 これに対して、失業者や定年退職者、専業主婦を「無職」と呼ぶことには格別差別性はないように見えますが、それにしても職がないことをそこまで明示・強調しなければならないものでしょうか。
 職を失った結果暫定的に無職となった人ならば「失業者」、退職して年金を主な収入源としている人ならば「年金生活者」と呼べば十分なはずですし、それ以外の理由から現在無職である人については格別の肩書きは必要ないと思われます。その点、「専業主婦」は主婦を一つの「(職)業」とみなす用語として興味深いものです。
 
 ちなみに、「職」とは、貨幣経済が定着した資本主義社会においては、金銭報酬を得て反復・継続する仕事のことを意味しますから、反復・継続していてもそれによって金銭報酬を得ていない仕事は「職」とはみなされず、せいぜい“自称○○業”という「無職」に近いニュアンスを醸し出す肩書きをあてがわれてしまいます。
 結局のところ、「無職」という語はそれ自体として差別語であるとまで言えないとしても、職がないことを無能力ないし怠惰ゆえの社会的な欠格事由とみなす差別的ニュアンスが言外に込められた前差別語とみるべきものでしょう。

 

例題3:
あなたの住む街に、野宿生活者の人たちが住み着いている一帯があるとします。地元自治体では住民からの苦情を受けて、この一帯から野宿生活者を追い出す「浄化作戦」を開始しました。あなたはこのような「作戦」を支持しますか。

 

(1)支持する
(2)支持しない

 

 本例題は例題2で扱った「無職」問題の応用のようなものです。野宿生活者の中には廃品回収などの3K仕事をしている人もあり、必ずしも野宿生活者=無職ではないのですが、野宿生活者は無職のイメージが強く、なおかつ住居を持たないことから「ホームレス」と呼ばれたりもします。
 しかし、この「ホームレス」という語も「住居がない」ということをことさらに強調するもので、「無職」(=ジョブレス)と同様に前差別語とみるべきものでしょう。「ホームレス」の人々は野外を事実上の生活の場としているからには、「野宿生活者」と呼ぶのが穏当です。
 
 なお、しばしば「路上生活者」という用語も使用されますが、野宿生活者のすべてが「路上」で生活しているわけではなく、公園とか河川敷に住み着いている人も少なくなく、「路上」で生活している場合も、多くは地下道などの「路傍」に陣取ることが多いので、「路上生活者」という表現は実態に合っていません。
 ただ、これが差別語ないし前差別語かと言えば難しいところですが、「路上生活」という部分に、通行を妨げているとか、環境を汚しているといった否定的イメージが込められているとすれば、少なくとも前差別語とみなせる余地はあるでしょう。
 

 実際、野宿生活者に対する蔑視には激しいものがあり、偏見を抱く人(しばしば未成年者)によって野宿生活者が襲撃・殺傷される事件もたびたび起きています。これは典型的な差別的憎悪犯罪(ヘイト・クライム)に当たります。
 例題のような当局による「浄化作戦」は、こうした野宿生活者への蔑視を助長する要因ともなり得ます。「浄化」といっても、これは宗教的な観点からするケガレの除去を意味しているのでは全然なく、端的に野宿生活者を街のイメージを汚す迷惑な存在として排斥の対象とみなしているからです。
 
 当局では、こうした施策を展開するに当たって「保護」という名分を掲げ、実際、野宿者に対して宿泊所などへの入所や生活保護の申請を促すこともあり得ます。真に脱野宿化を促進する福祉的施策ならば差別には当たらないわけですが、「浄化」と「保護」の区別はしばしば微妙です。真に「保護」と言えるかどうかは、その施策の内容を立ち入って検証しなければ判定できないでしょう。
 
 残念ながら、現状では、例題のような「浄化作戦」を積極的に支持する意見も少なくないと思われますが、それは野宿生活者=怠け者といった偏見が社会に定着しているせいでもありましょう。
 しかし、職の喪失が住居の喪失、結果としての野宿生活につながりやすいことは容易に理解できることですから、それは怠け者ではない勤勉なあなたの身にも降りかかるかもしれない生活上のリスクと言えます。そういう意味で、この問題では、我が身に引き寄せて考える「引き寄せの倫理」が有効と考えられます。