差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

〈反差別〉練習帳[全訂版](連載第19回)

レッスン2:障碍者/病者差別

レッスン2では、差別の一丁目二番地に当たる障碍者/病者差別に関する練習をします。

 

例題1:

介助者なしの車椅子に乗った障碍者が道の段差を乗り越えられず難渋しているのを見かけたとして、あなたならどうしますか。


(1)見て見ぬふりをする
(2)無言でいきなり手を貸す
(3)相手の意向を聞いて手を貸す
(4)その他(自由回答)


 本例題の選択肢は少し誘導的に作ってあるので、多くの方が(3)の「相手の意向を聞いて手を貸す」を選択するかもしれません。これが模範回答であることは言うまでもありません。
 しかし、日本社会では案外(1)の「見て見ぬふり」も少なくないかもしれません。このような「見て見ぬふり」は差別の一形態としての意識的な無視とは異なり、それ自体差別とは言えません。多忙な現代社会では手を貸す時間もない人も実際いるでしょうし、障碍者の間でも自立志向が強まっている中では―例題の人も介助者なしの自力外出中―手を貸すことに遠慮があるという場合もあり得るからです。
 
 これに対して、(2)の「無言でいきなり」を選択する方は少ないかもしれませんが、このようなとっさの強制介助はあってはならないことでしょうか。
 日本社会では障碍者にさりげなく手を貸すというような習慣が希薄なため、どうしても構えてしまい、(1)の「見て見ぬふり」に赴きやすい面もありますが、(3)のように「相手の意向を聞いて」という模範行為もなかなか容易に実行できないとしたら、通常相手が断らないだろうと思われる状況で、安全な方法による限り、いきなり手を貸す強制介助もあってよいのではないでしょうか。
 
 元来、日本社会では街の構造を障碍者規格に合わせて障碍者の社会参加を促進するというノーマライゼーションの発想が薄く、逆に障碍者を一般規格に適応させようとする言わば逆ノーマライゼーションの傾向が強いです。そのため、「バリアフリー」もスローガンに終わりがちで、例題のように車椅子では難渋するような段差が放置される一方で、段差を乗り越えられるような高性能車椅子の開発が目指されるという状況です。
 ここには障碍をすべての人が直面し得る状態とみなさずに、一部少数者の特殊な状態と劣位において、劣位者こそ一般規格に適応すべきだとする差別思想が依然として潜んでいるように思えます。
 車椅子を改造するのではなく、街を改造して物理的に可能な限り段差を撤去していけば、そもそも本例題のような状況自体がめったに生じなくなるわけです。同様のことは、視覚障碍者向けの施策、特に近年相次いでいる駅ホームからの転落事故を防ぐためのフェンス設置や点字ブロック整備などについても言えます。

 

例題2:
列車の二人掛けの座席で、あなたの隣に座った乗客が急に大声で奇声を発したり、意味不明なことを叫んだりし始めたとして、あなたならどうしますか。


(1)席を移る
(2)乗務員を呼んで排除してもらう
(3)話しかけてわけを聞く
(4)注意して黙らせる
(5)その他(自由回答)


 この隣席の乗客はおそらく精神障碍者か知的障碍者と思われます。いずれにせよ、錯乱状態にあると見られるので、隣席にいれば誰しも一定の不安や迷惑は感じることでしょう。
 このような場合は、(1)のように逃げ出すことも一つの方法です。これは相手を忌避する差別行為と紙一重ではありますが、例題のような状況下では、むしろ差別回避行為であると同時に自衛行為でもあり得ます(特にあなたが女性で隣席の乗客が男性であるような場合)。ただし、指定席のため、他の席に移れない場合もあります。
 
 そこで、(2)のように乗務員を呼んで排除してもらうことは、一見して合理的な正当行為のように思えますが、隣席の人があなたに危害を加えようとするそぶりもなく、単に一人で錯乱して騒いでいるというだけでいきなり排除しにかかるのは、「不安」とか「迷惑」といったもっともらしい合理化理由を掲げた転嫁的差別に当たります。
 残念ながら、日本社会では本例題のような人が“野放し”にされて一般社会に現れ、他の人々に不安や迷惑を及ぼさないよう、精神障碍者や知的障碍者は病院や施設に閉じ込めておくべきだとする隔離思想が依然として根強いため、近年ようやく社会復帰の取り組みも始められているとはいえ、特に精神病院の長期入院者が膨大な数に上っている状況にあります。
 
 例題のような状況では、(3)のように、まずはわけを聞いてみることが模範的包容行為と言えるでしょう。ただ、現代日本では、平常的な状況でも、列車で偶然隣り合わせた人と言葉を交わすような習慣は消失して久しく、まして錯乱しているらしい人となると、話しかけるにも相当の勇気が要るのもたしかです。
 ただ、相手が高度の錯乱状態にあれば、聞いてもわけを話すことができない可能性は大いにありますから、その場合は、乗務員を呼ぶなりして鉄道会社としての対処を求めることは差別行為に当たらないでしょう。
 
 なお、(4)の「注意して黙らせる」はいささか高飛車ですが、一つの差別回避行為として試してみてもよいかもしれません。ただし、これは錯乱している人の鎮静化に慣れているような人でなければ難しいウルトラ対応ですので、推奨はできません。