差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

〈反差別〉練習帳[全訂版](連載第21回)

レッスン2:障碍者/病者(続き)

例題5:

[a]あなたが結婚を前提に交際している相手から、ある遺伝病を持っていることを打ち明けられたとして、あなたならどうしますか。


(1)別れる
(2)交際を続ける

 

[b]([a]で「別れる」と回答した人への質問)別れる理由は何ですか(自由回答)。


 ここからは病者差別に関わる例題です。本来、障碍と病気は不可分の関係にあり、障碍とは、先天性であれ、後天性であれ、何らかの病気によって引き起こされた心身の機能の不全な状態ですから、障碍者=病者と言ってもよいわけですが、ここでは外見上明確に障碍が表れないような病気をめぐる差別問題を扱います。

 病気は、日本古来の観念では宗教的な観点からケガレとして忌避されることもありましたが、現代ではさすがに病気をケガレとみなす観念は出てこないでしょう。すると、交際相手から遺伝病の存在を打ち明けられた人がそれだけで別れるとしたらその理由は何でしょうか。
 病気の中でも外見上はっきりした障碍をもたらすのではなく、外見からは全くわからないような病気であっても、遺伝病となると、「遺伝」という一つの医学的な烙印が押されたに等しく、相手の家系自体が何かしら劣等的であるかのような感覚を生じ、とりわけ結婚相手としてはふさわしくないように見えてしまうということかもしれません。そうだとすれば、それはまぎれもなく差別です。
 
 実際のところ、ある病気を「遺伝病」とみなすことに医学的根拠がなく、そのようにみなすこと自体が差別行為となる場合もあります。また、遺伝する可能性はあるものの、遺伝は発症要因の一つでしかない遺伝性疾患で、ことさらに遺伝性を強調することも同様です。こうした場合、「遺伝学」というそれ自体としては正当な学術が差別の道具として使われているわけで、これが優生思想とも結合されたうえ、遺伝病差別が形成されていくことになります。
 また、「生まれてくる子が同じ病気にならないか心配」という理由で結婚をためらう場合もあるかもしれませんが、これも遺伝病の承継可能性に焦点を当て、劣等視する含みがある点で、差別的であることに変わりありません。どうしても心配であれば、結婚したうえで子は作らない選択をすることも可能です。
 結局、例題5では、交際をやめるべき正当な理由が他に見当たらない限り、交際を続けることが包容行為ということになります。
 
 なお、例題では取り上げませんでしたが、遺伝病に関しては、就労上の差別という問題もあります。これは労働効率や医療保険上の負担を懸念する経営判断が絡む問題で、単純な差別問題を超えた経済的な要素を伴う難問と言えます。
 また、それとも関連して、生命保険加入上の遺伝病差別も問題となりますが、これも発生確率の低い事象に保険をかける(逆に発生確率が高い事象は排除される)生命保険という商品の経済的な性質がもたらす問題です。

例題6:

国際的に感染症Xが大流行しているとします。そこで、政府は「国際空港で入国/帰国手続を申請したすべての人に強制的な検疫を実施し、Xに感染していた人は直ちに病院に隔離する」という対策を決めました。あなたはこの対策を支持しますか。

 

(1)支持する
(2)感染症Xが強毒性なら支持する
(3)対象を外国人に限れば支持する
(4)支持しない


 感染症に関するいわゆる「水際作戦」に関わる例題です。本例題は新型コロナウイルスパンデミックが発生する10年近く前の初版で出していたものですから、我ながら先見の明があったようです。
 
  ただし、初版では「伝染病」という用語を無自覚に使用していたことは、差別克服という観点からは反省材料です。
 「伝染病」という用語自体は差別語ではなく、医学的にはまだ有効な用語ですが、「伝染」という表現にはどこか病者そのものを汚染源とまなざすようなニュアンスが含まれるので、現在では差別一歩手前の前差別語と言えるでしょう。実際、法令上も「伝染病」は「感染症」の語に置き換えられ、例外的に家畜の病気に対して使用されています。
 とはいえ、「感染」にも汚染の「染」につながる漢字が残されていますが、「伝」ではなく、「感」の字が組み合わされることにより、他者ではなく、自分自身が罹患するというニュアンスに変化していることが注目されます。

 
 さて、ここで「水際作戦」といっても、本人の同意を得て実施されるのではなく、例題は一律強制検疫・隔離という強制的な方法によるものですから、その是非をめぐって議論になるでしょう。
 一般に感染症患者の強制隔離は、公衆衛生上のやむを得ない措置として認められますが、これは感染症の蔓延を防ぐための正当な措置であって、差別に当たらないことはもちろんです(ただし、医学的な根拠を欠いた隔離や不当に長期の隔離は差別的です)。
 
 しかし、国際空港での一律強制検疫・隔離となると、相当に強硬な対策であり、ここには感染症患者全般を危険視する考えが含まれているように思えます。こうした危険視はそれだけでは劣等視=差別に当たらないのでしたが、入国者一律の検疫・隔離という強制措置はまるで感染症患者それ自体を「病原体」とみなすかのような前差別的対策と言わざるを得ない面はあります。
 
 そこで、選択肢(2)のように、強毒性の場合という条件付きであれば一つのバランス策であるように思えます。しかし、そうした場合でも、「一律強制」が正当かどうかにはなお疑念が残ります。それによって、実際、感染症の水際阻止の効果が上がるかどうかの保証も確かでないとなるとなおさらです。
 難問ですが、感染症の毒性度に応じてバランスする方策は、差別かどうかのぎりぎりの妥協点となることは確かでしょう。
 
 他方、選択肢(3)のように外国人入国者限定という策は、医学的に正当な理由もなく外国人のみを強制検疫・隔離することになりますから、日本国民より外国人を劣等扱いする典型的な外国人差別であって、差別的と言えます。
 
 かつてケガレは人から人へ「うつる」ものと考えられていたらしいのですが、感染症はまさに「うつる」病気であることから、ケガレ観念が廃れた今日でも、不浄視されやすい病気の筆頭です。しかし、古来の宗教的な意味合いを失った不浄視は劣等視の一形態であり、まさに差別に当たります。