差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

露出された身長差別

現在、『反差別〉練習帳』を連載中のところ、衝撃的な「事件」の報に接しました。といっても、大手メディアではほとんど無視されているため、一般には知られていないかもしれません。それは、プロのコンピューター・ゲーム(eスポーツ)チームに所属する女性選手が、男性の低身長に対する露骨な差別発言をしたことを理由に、チームから契約を解除されたという一件です(参照記事)。

 

eスポーツというものがまだ社会的に十分認知されていないためか(そこに職業差別的価値観が隠れている可能性も)、この一件は大手メディアではほとんど無視されているのかもしれませんが、問題とされた発言は単なる侮辱や嘲笑の域を超えた憎悪表現の形式を取った犯罪的なものでした。ここに、あえて引用します(参照記事)。

 

「165(センチメートルの男性)はちっちゃいね。ダメですね。170ないと、正直人権ないんで。170センチない方は『俺って人権ないんだ』って思いながら、生きていってください。骨延長の手術を検討してください。『骨延長手術』で調べてください。170あったら人権がちゃんと生まれてくるんで」「ほんまちっちゃい男に人権あるわけないだろお前・・・・」

 

低身長差別は英語圏ではheigtism(ハイティズム)といい、かなり普遍的に見られる容姿差別の一種ですが、通常表面化することは少なく、表面化しても軽い侮辱表現や嘲笑程度―それらも立派な差別行為ですが―です。それが、これほどまでに、ある種の規範的・命令的な言葉使いで表出されることは―おそらく全世界的にも―稀であるだけに、衝撃的なのです。

 

しかも、「低身長男性には人権がない」といった言説は、該当者に危害を加えるようなことも正当化しかねない扇動性を持っており、犯罪的な憎悪表現に当たります。日本にはそうした表現への罰則はないため、法的には問責されないでしょうが、実質上は単なる侮辱を超えた犯罪性を帯びた差別言動です。

 

もっとも、このような稚拙かつ粗雑な妄言にいちいち取り合う必要はないという見方もできますが、実はすべての差別言説は本質的に稚拙かつ粗雑であるがゆえに、かえって流布しやすいという面があるため、看過するわけにはいかないのです。

 

また、筆者自身も件の差別者の掲げる「規準」に該当する者として、背中をナイフで刺されたような衝撃を受けたところ、刺されたナイフを抜き取って相手の心臓を突き返すこともできますが、ここでは、そんなやり方をせず、『講座』にふさわしく、理性的に考察してみたいと思います。

 

そもそもなぜプロ・ゲーマーが突然このような言動をしたかですが、差別者自身の弁明によると、自宅で宅配サービスを利用した際、身長が165センチメートルほどの若い男性配達員から連絡先を尋ねられたことで恐怖心を抱き、対応に困ったとのことです。

 

連絡先というのはメールアドレスや携帯電話番号のことだとすれば、見知らぬ配達員からそのような個人情報を聞かれて(そもそも何のために聞いたのか)、不安になり戸惑ったというところまでは理解できるのですが、そこから、なぜ上記のような犯罪的憎悪表現に飛躍できるのか、その思考回路が理解できません。


そうかと思えば、別の個所では「背が高くてムキムキやったら連絡先は教えてた可能性はある」などと仮定的な発言もしており、そうだとすると、相手の身体条件によっては個人情報を教えていたということで、「恐怖や戸惑い」ではなく、相手の身体条件が気に食わなかっただけということになり、支離滅裂です。こうした論理破綻は差別者が追及を受けたときに苦しまぎれの釈明をするに当たってよくある事態と考えれば、それなりに「理解」はできます。


そうだとしても、どう思考すれば「ちっちゃい」男性に人権がないというような妄言に至るのか。お手上げです。差別者はゲームのやりすぎで、いわゆる「ゲーム脳」のような思考障碍が起きているのではないだろうかという懸念も持ちますが、ここでは深入りしません。―ちなみに、eスポーツ界にはかねてより各種の差別言説がはびこっているとの指摘もあり、関連性が想定されます(参照記事)。

 

差別者はまた、「高身長(男性)が好きって言いたいだけでした」とも弁明していますが、この弁明はそれ自体に身長差別が含まれていることによって語るに落ちているという点はさておいても、そうした自身の男性選好基準を表明することと問題となった発言は対応しておらず、弁明になっていません。ここでも思考回路が理解できないのです。

 

とはいえ、発言自体はあまりに露骨な憎悪表現であるために、所属団体は即刻契約解除措置を取ったのでしょうが、このような即決による追放は、―もう忘れかけられている―東京五輪関係者の間で続発した差別言動理由での連続解任劇で定例となった企業的な危機対応策にすぎず、本質的な解決にはなりません。

 

今回の言動は実のところ、多くの人の心に巣食っている身長差別的価値観を差別者が言わば“代表選手”として露出させたものとも言えるわけで、女性のみならず、男性の間でも低身長男性を劣等視する価値観は確実に存在しているので、密かに共感する向きすらあるはずです。

 

では、どう対応すべきなのか。差別者にとって必要なことは定型文言による形式的謝罪ではなく、再教育です。差別者は反差別教育を受けていないからです。ところが現状、学校でも体系的な反差別教育はなされていませんし、まして成人向けの反差別教育など存在しませんから、何をどう再教育すべきか誰にもわからないのです。だから、小手先の対応で済まそうとする。

 

その点、筆者の『〈反差別〉練習帳』は成人に向けたある種の(再)教育教材として構想しています。ですが、このようなものがすぐに普及することは期待できませんから、とりあえずは、いささか因果論的になりますが、人を差別する者は別のところで自らが差別される立場に回される差別の循環ということを真剣に考えてもらうことが早道かもしれません。

 

例えば、今回の差別者が挙げている「170センチ」という身長差別規準ですが、これは現代のある程度長身化した日本人男性の差別規準としてはともかく、180センチ超えが珍しくないヨーロッパ系男性の規準としては「170センチ」では「ちっちゃい」のです。日本では差別者の規準に合格しても、高身長民族の社会では不合格の低身長として差別される側に回されるということです。

 

さらに言えば、今回の差別者自身に関しても、「ゲームおたくで無知・無教養の馬鹿な小娘にこそ人権などない」といった侮辱表現で差別し返すことは可能です。もちろん、これ自体、知能差別+女性差別+年齢差別表現そのものですから、まさにナイフで突き返すようにこんな言葉を返すつもりは決してありませんが、自分は完璧で差別されない存在だと思い込むのは間違いです。誰でも差別の標的となり得る特徴を一つや二つは持っているからです。

 

『〈反差別〉練習帳』の連載の合間に、その意義を没却するような「事件」が発生して、このようにアドホックな論説を出さなければならないのは本当に遺憾ですが、とにかく差別言説が至る所にあふれかえっている日本社会の一つの側面を示したのが、今回の一件ではないかと思います。かえって当講座の存在意義をいっそう強く確信できた一件でもありました。

 

〇参考過去記事:身長差別をめぐって