差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

差別王、米大統領へ!

差別王トランプが、ついに公民権法半世紀余りの歴史ある国の大統領になってしまった。世界の差別主義者たちは、欣喜雀躍していることだろう。かかる絶望的事態は、当ブログでは昨年12月の拙稿で予測し、こう述べていた。
 
無視されず、反響があることに気をよくして、まだまだ続くであろうトランプの差別的発話に逐一反応してしまうと、トランプ発話が繰り返し報道・引用されることで、かえって宣伝効果を生じ、彼への支持もいっそう強まり、本当に「トランプ政権」ができてしまう可能性すらあることが懸念される。
 
そこで、トランプに対しては、問題外の泡沫候補として「一切の反応を示さない全面的かつ完全な無視(total and complete ignorance)」という方法を推奨したのだが、届かなかった。彼の過去の言動まですべて洗いざらい報じたマス・メディア総体は、彼を批判しながら彼の当選に多大の寄与を成したのだ。
 
彼の奇矯で下品な差別言動が繰り返し報じられることは、大衆の心の中で眠っていた差別意識を覚醒させ、刺激してしまい、トランプは自分が表立って言えないことを雄弁に代弁してくれる自分の分身であるかのように映じられる。
 
中でも大々的に報じられた女性差別言動歴は、トランプの当選に当たって障害とはならなかった。これは、男性たちはもちろん、少なからぬ女性たちがその点を問題視しなかったからでもある。差別は被差別者との共犯関係によって成り立つというねじれた関係性についても、当ブログ別記事で述べている。そういう関係性が如実に表れた選挙結果でもある。
 
一般投票の得票数で下回る候補者を選挙人の獲得数で勝たせてしまうアメリカの古式な間接選挙制度の欠陥も差別王の当選を後押ししたが、そういう制度である限りは、致し方ない。問題は、まさしく現実のものとなった「トランプ政権」とどう向き合うかだ。
 
すでに選挙結果に納得しないアメリカ人が抗議デモに繰り出している。かれらは「トランプは我々の大統領ではない」と主張している。これだ。とりあえず合法的に当選したからといって、「トランプ大統領」を支持しなければならないわけではない。反差別の立場からは、差別王大統領を承認するわけにはいかない。
 
差別王の政治権力には形式的合法性は認められても、実質的正当性は認められないのだ。そういう理路に立って、差別王政権が来年から繰り出す施策の中身を批判的にウォッチしていくことである。当ブログでも日陰ながら、微力を尽くしていく所存である。