差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

怖がらない

7月の障碍者施設襲撃事件は障碍者やその家族に大きな衝撃というより恐怖を与えたようである。事件以来、外出に恐怖を感じたり、障碍児を連れていると人目が気になる、また同種施設ではセキュリティ強化、防犯訓練などの対応に追われるといった影響が出ているという。
社会に恐怖を与えることで自己の思想信条を社会に知らしめ、その浸透を企てることがテロリズムだとすれば、かの事件は完全にテロリズムの範疇に含まれることになる。犯人は大いに満足していることだろう。
しかし、社会の側で必要以上に恐怖することは、まさしくテロリストの期待に応えることにほかならない。事件を完璧なテロリズムの範例として完成させないためにも、何とか当事者は恐怖せず、従来どおりに生活できないものだろうか。
よく、ネット上で犯人に共鳴する書き込みを目にするとして、恐怖を増幅させる向きがあるようである。たしかにその種の書き込みを目にすることはあるが、そういう書き込みをする人が犯人と同様の行動を取るとは限らない。というより、ほとんどの人はあのような行動を取らないだろう。特定の思想を持つことと、それを実践に移すことの間には明確な一線がある。
もっとも、イスラーム過激派のやり方に倣って、ネット上で組織的に宣伝感化工作を展開すれば、一線を越えさせることも可能となるが、現時点では日本に障碍者絶滅を訴え、障碍者テロを煽動教唆するような組織は存在しないだろうし(あるいは犯人はそうした組織の結成まで構想していたのかもしれないが、幸いにして単独行動の段階で司直に囚われた。)、また存在することがないように適切な政策出動を講じなければならない。 
日本の障碍者福祉の大状況を見ると、ヨーロッパ先進諸国からは周回遅れとはいえ、遅々としながらも徐々に良い方向に進んでいると評価できるのではないだろうか。むしろ、そのことへのバックラッシュとしてあのような事件が象徴的に起きたという評価も可能である。
とするならば、当事者たちは事件に恐怖せず、従来どおりの生活を維持してよいものと思うし、そうすべきでもあると思う。そうして、むしろ勇気を示して障碍者の味方を増やしていくことで、犯人の狙いを挫き、彼を哀れなローン・ウルフとして片隅に追いやることが、さらなる前進につながるはずである。
ただし、大勢が集団生活を送る施設の場合、一般的な防犯対策の必要性は否定されないが、同種事件が今後も続発するという前提で必要以上のセキュリティ強化等を講じることは、障碍者福祉の敗北を認めるに等しいということを認識するべきであると思う。