差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

黒&白>黄?

※本件については、誤訳によるある種のフレームアップがなされた可能性を指摘する意見もあり(末尾追記参照)、それによれば論旨が変わる可能性もあることから、記事本文をあえて読みづらい小文字表記に改訂しました。

今回は、タイトルの付け方を迷った挙句、何のことかよくわからない記号的なタイトルになってしまいましたが、最近の海外メディアの報道によれば、サッカーのフランス代表選手二人(アフリカ系と欧州系)が訪日中、宿泊したホテルで、日本人従業員に対し人種差別的な言動をしていたとされる“事件”をめぐっての考察を不等号で象徴したものです。
やや込み入った話なので、報道された事実関係を要約してみます。
 
スペインのプロサッカーチームであるバルセロナに所属するフランス代表のFWウスマン・デンベレとFWアントワーヌ・グリーズマンの両選手が2019年にバルセロナのプレシーズンツアーに参加して訪日した際、宿泊先ホテルで、ビデオゲームの機器セットのため、部屋に呼んだ日本人のホテル従業員に対し、デンベレは、従業員3名がテレビの前で作業している様子を見守りつつ、隣にいたグリーズマンに「醜い顔ばかりだ。PES(注:サッカーのビデオゲーム)をプレーするだけなのに。恥ずかしくないのか」と話し、さらに、作業する従業員らの顔をアップで撮影しつつ、「どんな後進国の言葉なんだ」、「お前の国は技術的に進んでいるんじゃないのか」などとも発言した。グリーズマンの言葉は聞き取れないが、デンベレと一緒に笑い合う様子が映されていた。
 
呼びつけたスタッフにセットしてもらっている中で、なぜこのような言動が取られたのか、理解不能ですが、いわゆるアスリートなる者たちの特殊な思考法があるのかもしれません。内容的にも全く幼稚な発言で、取り上げるに値しないかもしれませんが、差別克服という観点からは、いくつか興味深いポイントがあります。※なお、末尾の追記も参照ください。
その前に、登場人物の紹介ですが、サッカーに疎い筆者は初めて聞く名前ですので、出自等を調べると、デンベレグリーズマンの両選手はフランス人ですが、デンベレモーリタニアセネガル両系統の血を引く黒人、グリーズマンはドイツとポルトガルの血を引く白人とのことです。

ポイント1
:アフリカ系(黒人)がアジア人を差別する発言をし、白人が同調した
ポイント2
:主たる差別者はフランス生まれのアフリカ系である
ポイント3
:日本人が日本国内で人種差別された
ポイント4
:日本国内では問題視されず、海外メディアの報道で発覚した

初めにポイント4から入りますと、日本国内で問題視されなかった要因として、フランス語で発語されたため、言われた日本人は内容を理解できなかったか、選手の仕草などから理解できていたとしても、ホテル側の保秘上、情報流出しにくいという事情があったかもしれません。それにしても、二年も経過して、海外からの報道で発覚というのはいささか情けない話ではあります。
差別克服の観点から見て最大のポイントは、1と2にあります。すなわち、主たる差別者であるデンベレは上掲紹介のとおり、フランス生まれの黒人であり、フランスでは被差別人種に属しています。北アフリカも含めたアフリカ系フランス人は貧困階層でもあり、実際、スポーツ選手にでもならない限り、富裕層の仲間入りはできない立場です。
デンベレ選手はそのような例外的な成功者の一人というわけですが、欧州では成功したアフリカ系選手でさえ、観客などから人種差別的罵声を浴びることがあるようです。そういう彼が日本にやってきて、アジア人の容貌や言語について差別的な言動をしたというのは、「差別の被害者転じて加害者となる」という差別現象においてまま見られる哀しい立場逆転(反転的差別)の典型例と言えます。*アフリカ系がアジア系を差別した事例として、アメリカでも、アフリカ系女性がアジア系女性に対し、「チビのアジア人」などと罵倒し、暴行したというケースがありました(参考記事:リンク切れ)。
一方、上掲事実関係を見る限り、欧州系のグリーズマンは積極的に差別的言動をしなかったようですが、デンベレに同調して笑い合っていたとあります。これも、差別事象において必ず見られる消極的同調または傍観という一つの行為形態にあてはまります。
ちなみに、報道によると、デンベレグリーズマンの両選手は普段から仲が良いとのことです。欧州系ながらアフリカ系の同僚と仲が良いというグリーズマンには少なくとも黒人差別をする習慣はないのかもしれませんが、アジア人差別には同調的だったというわけで、このように差別対象を恣意的に切り分ける選択的差別も、差別現象においてよく見られます。
ポイント3の日本人が日本国内で人種差別されたという点について、通常、国内で人種的・民族的多数派に属する人(この場合は日本人)が人種差別される頻度は極めて低いのですが、外国人によって人種差別されることはあり得ることを示す事例です。今回の差別者コンビはツアー試合で訪日した賓客のサッカー選手ですから、つい上から目線になって、ホテル従業員に差別的放言をしたとも考えられます。
ところで、本件では、問題となった両選手が反論のコメントを発表しています。その内容は次の通りです。

デンベレ
「(私の発言は)いかなるコミュニティーも標的にしたものではない。こうした表現はその人の出身にかかわらず、友達同士の会話で使うことがある。」
グリーズマン
「私は常に、あらゆる形態の差別に反対してきた。数日前から一部の人々が、私を本来の姿ではない人間に仕立て上げようとしている。私に対するあらゆる非難に強く反論し、もし日本の友人の感情を害することがあったのなら申し訳なく思う。」

「コミュニティーを標的」「あらゆる形態の差別」といった差別関係の文献や法令等でよく使われる定型表現が用いられていることから推して、両選手のコメントは弁護士その他の危機管理専門家の助言または草稿に基づく公式的なコメントであって、本人の肉声とは言い難いものです。
つまり、両選手とも反省することなく、専門家の支援を受けつつ反論しているわけですが、その反論は事実関係に合致しておらず、差別者がしばしば陥る自己矛盾を示しています。以下、簡単に示してみましょう。

デンベレ「いかなるコミュニティーも標的にしたものではない」
⇔「後進国」「お前の国」など国という単語を使っており、国という一つのコミュニティーを標的とした言動をしている。
同上「こうした表現はその人の出身にかかわらず、友達同士の会話で使う」
⇔「友達同士の会話」なら、なぜわざわざ従業員の顔をアップで撮影したのか。百歩譲っても、「醜い顔ばかり」は、容姿差別発言の感心するほど率直な典型例であり、「友達同士の会話で使うことがある」なら、常習的容姿差別者である。
グリーズマン「あらゆる形態の差別に反対してきた」
⇔白人ながら黒人と仲が良いのは結構だが、黒人の親友のアジア人差別をたしなめず、同調している。

さて、両選手の言動を擁護するつもりはありませんが、おそらく両人とも確信的差別主義者ではなく、彼らからすれば二年も前のすでに忘れかけていた些細な出来事に対する反響に当惑し、名声維持のため、差別を否定しようとしているのでしょう。
おそらく、今回の一件は尊大さが原因となっていると考えられます。スポーツ選手に対する社会の過大な評価が選手(元選手を含む)の傲慢さを助長している世界的傾向があります。*そのことは、パンデミック下での五輪開催強行をIOCはじめ、スポーツ界がこぞって推進しようとしていることにも表れています。
競技スポーツという遊興に属する事柄が普通人よりよくできることに過大な価値を与え、20代そこそこの青年にしては法外な巨額年俸を支給するような現代資本主義世界の異常な風潮が招いた出来事の一つでしょう。
いわゆるアスリートへの過大評価も能力差別の一形態と言え、過大評価された者たちに、ホテル従業員のような労働者をとかく見下し、奴隷のように扱う尊大な姿勢を助長していると言えます。その意味でも、本件は興味深い論点を提供しています。
 
追記
本件をめぐっては、フランス語の俗語に詳しい方による、選手が使用したフランス語の検証の結果、差別的とは言い切れないとの反論も出されています。論者(今井佐緒里氏)によれば、最初に報じたイギリスの新聞による英訳→日本語訳という重訳の過程で重大な誤訳が生じているとのことです。
そこで、論者による修正された訳文に沿って改めて検討してみると、たしかに、いささか侮辱的ではあるものの、人種差別的とは言えないという解釈も成り立つようです。ただ、筆者は修正された訳文をもってしても、日本語や日本人を見下げるようなニュアンスは払拭できず、言外にほのめかすタイプの差別表現ではないかと考えます。
いずれにせよ、本件は差別が言語、それもしばしばくだけた俗語表現を通じて表出されること、さらにそれが外国語であれば誤訳問題がつきまとうことに由来する困難さを象徴するケースと言えるでしょう。今後も検証が必要な“難事件”です。
なお、「侮辱と差別は異なる」という論者の一般論にはいささか修正が必要でしょう。なぜなら、差別は差別された側にとっては侮辱と同じだからです。すべての侮辱が差別でないことはたしかですが、すべての差別は侮辱なのです。