差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

五番目の差別か

大会前に四人もの関係者が差別関連絡みで辞任や解任に追い込まれた東京五輪で、今年5月にはセネガル人音楽家(打楽器奏者)ラティール・スィー氏ともう一人のセネガル人音楽家(弦楽器奏者)が、予定されていた開会式への出演を組織委から一方的にキャンセルされていたことがわかった(参照記事)。

本件を報じた別の記事はこれを「露骨な人種差別」と評しているが、いささかオーバーランである。当事者の説明が食い違っているからである。

スィー氏本人の説明によれば、キャンセル理由として、「『なぜアフリカ人がショーに出てるんだ?』と観客はきっと疑問に思う」「なぜここにアフリカ人が?となれば、他の国籍(者)も入れないといけないという話になる」と説明されたという。

一方、組織委側はこれを全面否定し、「多数のミュージシャンによる音楽パートを企画していたが、感染症対策と予算の都合上、当該パートを断念し、出演をお断りすることになった」と説明しているという。

組織委の説明どおりならば、これは感染症対策や予算という観点からのプログラム変更による結果的なもので、人種は理由でないことになる。しかし、コロナ対策と予算という組織委側の説明は漠然としており、取って付けた印象もあり、十分説得力があるとは言い難い。こうした場合、他の正当化理由を持ち出し、本来の差別的意図を逸らせる転嫁的差別の可能性も捨て切れない。
一方、スィー氏側が聞いたという説明は広告会社を介した伝聞であることに問題はあるが(組織委が直接に説明しなかった理由は?)、アフリカ人を除外するに際して、観客の否定的感想を忖度したり、他の国籍者を参入させなければならなくなるという必然性のない公平性配慮を持ち出すなど、こちらはアフリカ人であることを理由とした差別を他の正当化理由に転嫁する、より明確な転嫁的差別のパターンに当てはまる。
証明の難しいケースではあるが、アフリカ系黒人に対する人種差別的排除の合理的な疑いは残るケースであり、当初は決まっていた出演を直前期になって誰がなぜキャンセルする決定を下したのか、検証する必要はある。その結果いかんでは、今般五輪五番目の差別事例となるだろう。

ちなみに、本件は国内主要メディアがほとんど扱わず、比較的詳しく取り上げている冒頭の朝日新聞GLOBE+の本体である朝日新聞も取り上げていない。しかし、海外では大きく取り上げられ、スィー氏も多くのメディア取材を受けたとのことで、また一つ日本の差別感度が海外に伝わる事態となっている(参照記事)。
本件が明白な人種差別に当たるかどうかにかかわらず、言えることは次のことである。

日本在住アフリカ人は増加しており、現にアフリカ人の血を引く日本人選手も出場する今大会である。日本在住のアフリカ系音楽家を出演させることに必然性は充分あり、まさに大会キャッチフレーズの多様性にも合致しているのに、それをアピールするチャンスを逃した。また、直前の差別ドミノの名誉挽回のチャンスでもあったはずなのに、それをも逃した。そして、20年以上日本に在住し、音楽活動をしてきた一人のアフリカ人に差別の疑念と失望を与えてしまった。