差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

非婚者差別―見えない差別

ちょうど一か月前、札幌地方裁判所が同性同士の婚姻(同性婚)を認めない現行法は法の下の平等を保障する憲法に違反するという前例のない判決を下し、反響を呼びました。この事案が最高裁判所に持ち込まれた場合どうなるのか興味深いところですが、もし最高裁でも違憲判断が支持されれば、日本でも同性婚が認められることになります。

同性婚を認めることは海外の先進諸国では珍しくなくなっていますが、それは、婚姻制度の枠内で同性指向者(※)にも、まさしく法の下の平等な市民権を保障することを意味しており、差別克服という観点からは、ひとまず歓迎すべきことと言えます。
※「同性愛者」という用語が普及しており、当ブログでも、従来はこの用語に従ってきましたが、この用語そのものが直ちに差別語であるとまでは言えないにせよ、奇異な性癖を持つ特殊な者というネガティブなニュアンスを払拭し切れないことから、今後は、愛情の対象をより客観的に示す性的指向性の概念に沿って、「同性指向者」という用語に置き換えることとします。

これまた海外先進諸国では珍しくないことですが、夫婦(夫夫/婦婦)別姓婚を認めることになれば、同性婚を含め、婚姻制度はラインナップが増えて、にぎやかな満員電車のようになります。

しかし、婚姻制度を満員にしたくない勢力にとっては、同性婚ばかりか別姓婚も容認できないということで、今後、強力な反撃も予想されるところですが、ここでは、そうした婚姻制度内部の差別問題はひとまず保留にし、婚姻制度の外の問題、すなわち非婚者への差別という問題を取り上げてみます。

ひとくちに非婚者といっても、別姓婚や同性婚を求めている人々のように、パートナーのある非婚者とパートナーのない非婚者とがあります。前者は現行法が別姓婚や同性婚を認めないために、やむを得ず非婚者となっている人々であり、これらの人々は、制度が改正されることにより、被差別状況からひとまず解放されます。

一方、後者のパートナーなき非婚者も、離婚・死別等により結果的にパートナーを失った非婚者と、そもそも結婚歴のない非婚者とに分かれます。さらに、結婚歴なき非婚者の中でも、いわゆる結婚適齢前の若年非婚者(未婚者)と結婚適齢を過ぎた中高年非婚者はまた別の存在です。

ここでようやく本題にたどり着きますが、本稿で問題にする非婚者差別とは、一番最後に取り出した結婚適齢を過ぎた中高年非婚者に対する差別のことを指します。

とはいえ、そもそもそのような差別が現実にあるのかと言うと、あるようでないような、ないようであるような曖昧なところがあります。実社会において、非婚であることで不利に扱われたという話はあまり聞きませんが、特に中高年男性の非婚者は、とかく立場が弱いように思われます。中高年男性の非婚率は上昇しているのに、各界重要なポストに就いている男性のほぼすべてが既婚者であることは、何らかの見えない差別の存在を示唆しています。

それにしても、なぜ中高年非婚者は差別されるのでしょうか。その点、婚姻が家系の継承のための重要な制度であり、それゆえに婚姻は個人の選択でなく、家の政略であった時代、非婚者は継承に値するほどの家柄がないことを示しており、その身分の低さを蔑視されたでしょう。

ちなみに、男性に関しては、既婚ということがかつての家柄に代わるある種の「身分」となっており、そうした「身分」のない中高年男性は低評価されている可能性もありますが、ここでは、この問題に立ち入ることは避けます。

現在、婚姻は両当事者の合意によってのみ成立するとされ、婚姻が個人の人生設計の問題となった当世の非婚者はなぜ差別されるのか━。

その点、非婚者は子どもを作らないという誤った前提に立ち、非婚者を少子化現象の元凶であるように敵視する向きもあるようですが、これは論外の謬論です。当たり前のことですが、子どもは結婚とかかわりなく、婚外でも作ることは可能な一方、結婚しても意識的に、あるいは医学的な理由から、子どもを作らない(作れない)場合も少なくないからです。

すると、残った理由は、やはり当ブログの一丁目一番地である容姿差別に帰着するのではないか━。

婚姻が個人の選択となった時代、「婚活」における相手選びの条件として、収入や資産といった経済的条件以外に―むしろ、それ以上に?―、相手の容姿は重要なポイントの一つのはずです。そのことは公然とは言われないにせよ、やはり人前で誇れるような容姿の結婚相手を選びたいという心情は、性別・性的指向を問わず、あるはずなのです。

とすれば、中高年非婚者とは、そうした条件に合う容姿を持たない(俗にいうモテない)余り者だという見方をされることになるでしょう。これも公然とそのように言われることはないとしても、暗に示唆されるのです。以前、婚姻は様々な差別を助長する制度であることを論じましたが(拙稿)、現代の個人選択婚(恋愛結婚)の時代には、婚姻が容姿差別を助長している可能性が想定されます。

非婚者差別はなかなか公然化されないため、認識されにくく、思い過ごしだと言われるかもしれませんが、それは容姿差別についても同様です。先述したように、「あるようでないような、ないようであるような」漠然とした差別なのです。

これも先述したように、同性婚や別姓婚を認めて婚姻制度のラインナップを増やすことは、差別解消の観点から、ひとまず良策と言えますが、中高年非婚者差別の問題はそうした婚姻制度の拡充策によっては解消されません。それどころか、同性婚や別姓婚の容認により、既婚者数が増加することで、かえって非婚者は肩身が狭くなる可能性すらあります。

究極的には、先の別稿でも示唆したように、婚姻制度そのものの是非―婚姻制度の廃止―という大きな問題に到達せざるを得ないことになるでしょうが、そのずっと手前で、まずは一丁目一番地に立ち返って、容姿差別の問題に取り組むことが先決でしょう。その結果、婚姻制度の性質がどう変容するかは見ものです。