差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

差別の共犯関係

性別による差別、中でもその中心にある女性差別については国際的にも克服の取り組みが重ねられてきたこともあり、差別解消が最も進んでいる分野であるが、それでもその進展のレベルには国ごとに相当な格差がある。その違いはどこから生じてくるのだろうか。

単純に考えれば、「男尊女卑」の観念の強弱によると言える。たしかにそうであろうが、もう一歩踏み込み、いったい誰がそのような観念を抱いているのか。これも単純に考えれば、男たちだというのが答えになろうが、事はさほど単純ではない。

たしかに、表向きは「近代化」を標榜している先進諸国にあっても、男性の念頭には女性を男性に奉仕すべき存在とみなす観念はまだこびりついているだろう。だが、およそ差別事象は、差別の加害者のみで成り立つものではなく、必ず差別の被害者(被差別者)の共犯関係をもって初めて成り立つ。

差別の一丁目一番地である容姿差別では、自分の容姿を自ら劣等視し、時に美容整形に走る被差別者が存在して初めて成り立つように、女性差別では被差別者である女性が自らを男性より劣位にあるとみなし、社会生活上身を引くことで初めて成り立つ。

女性自身が女性を男性より劣位にあって、男性に従属すべきものとみなしている―。これはフェミニズムのセオリーには反するかもしれないが、女性差別を克服するうえでは、避けて通れない問題である。

このような女性の差別加担の程度には国により差異があり、実はそれが最初に指摘したような国ごとのばらつきに相当影響していると考えられる。例えば日本のジェンダー平等は、国際比較によれば、自他ともに認める先進国としては異常なほど低位であることはよく知られているが、これにも日本女性の差別加担が大いに関わっている。

日本のジェンダー平等が低水準となる大きな要因の一つに、いまだに「専業主婦」という女性のカテゴリーが大きな割合を占めることがある。その理由として、女性の社会進出上の障害が多いため、やむを得ず専業主婦に追い込まれているというのがフェミニズム的仮説になろうが、むしろ女性の多くが専業主婦という生き方を望んでいるからという仮説のほうが説明しやすい。

実際、スマートフォン向け女性限定掲示板アプリ「GIRL'S TALK」が2014年9月に実施した意識調査によると、800人余りの回答者中51パーセントが「専業主婦になりたい」と回答している。主として若い女性を対象とした小規模な調査であるが、現時点でも、女性―それも啓発されているはずの若い世代―の約半数は専業主婦になりたがっているという結果である。

もっとも、残りの49パーセントは専業主婦になりたいとは思わないわけで、微妙な数値ではあるが、およそ半数の女性が専業主婦志望であれば、日本の専業主婦率は高水準を維持するだろうから、今後ともジェンダー平等は進展しないと考えられる。

より思想的な分野でも、日本には女性でありながらフェミニズムジェンダー平等論を攻撃する論陣を張る女性論客(一部女性政治家)が存在し、戦争に伴う女性差別事象でもある従軍慰安婦問題に関しても、その「虚偽性」を高調する運動の指導的地位に女性の姿が見える。

こうした事象は、ある意味では論壇への「男女共同参画」とも言える一方、それは伝統的に保守派男性が張ってきた女性差別的論陣に女性自らが参画するという差別共犯関係の象徴でもあるのだ。

すべての差別事象について言えることであるが、被差別者の差別加担が強ければ強いほど、差別の克服は困難である。逆に言えば、差別克服の最初の一歩は、被差別者が差別加担をやめることである。女性差別であれば、女性自身が女性差別に加担することをやめ、男性と社会的に対等な地位を求めて各界で決起することである。

最後に残される疑問は、女性の差別加担の度合いになぜ国ごとの違いが大きいのかということである。この問いにここで解答を出すことは難しいが、一つの仮説は啓発の度合いである。つまり、ジェンダー平等を社会的な意識として定着させるための社会啓発がどの程度行なわれてきたかの違いである。

この仮説に立てば、日本は「先進国」といいながら、実は如上のような社会啓発を不十分にしかやっていないのではないか?ということになる。これは、広い意味での教育(学校教育及び社会教育)の問題であるが、ここでは、政策決定権を掌握している男性たちの責任が改めて問われることになる。

かれらがなぜ啓発に不熱心かと言えば、男尊女卑の観念より以上に、自らの社会的地位や権力を女性に半分奪われることへの恐怖心のなせるわざなのである。案外、こうした狭量な恐怖心のほうが単純な女卑観念以上に、男性中心社会への男性の執着を引き起こしている可能性がある。

以上の考察からすると、一見奇妙なことではあるが、現代日本女性差別は女性自身の女性差別加担と、潜在的なライバルとなる女性に対する男性の恐怖心とが共犯関係に立つことで、成り立っているという結論になりそうである(この説明は、外国の例にもかなり妥当すると考えている)。