差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

レイシストとは何か

アメリカで数々の差別的言動を繰り返す「差別王」トランプ大統領が誕生して以来、レイシスト(racist)という単語がクローズアップされています。この語は日本では「人種差別主義者」が定訳とされています。

たしかにracistの語源であるraceは「人種」ですから、それに何らかの主義を示す語尾‐ismを付けてracismとすれば「人種差別主義」、そうした主義を信奉実践する人を示す語尾‐istを付けてracistは「人種差別主義者」というのは分かりやすいと思います。

しかし私の理解によれば、レイシスト:racistという語は、もっと広くおよそ人間を恣意的に分類し、優劣を決めつける価値観を持つ者すべてを指す用語です。「人種差別主義者」はそうした広い意味のレイシストの代表例にすぎないのです。

人種という概念は明確な科学的根拠を欠く分類概念によった半ば政治的な人間分類概念ですが、それは主として肌の色や容貌、身長といった外面的な特徴の類似性に着目した粗雑な分類基準によっています。当講座でも強調してきたように、こうした視覚を通じて人間が弁別認識する特徴は人種に限りません。

例えば、同じ人種に属するとみなされる人間集団の内部で容姿の美醜をことさらに問題とし、美女美男を称賛する一方で醜女醜男を侮蔑するという価値観は世界中で普遍的に見られます。障碍者なども、心身の障碍が外面的に現れていればいるほど、差別を受けやすい立場に置かれます。ですが、人間の美醜判断の基準は文化によっても、また同じ文化を共有する個人間でも異なる恣意的なものなのです。

このように人間を恣意的な基準で分類してそこに優劣の階層を設けようとする傾向を持つ人すべてが、広い意味でのレイシストです。しかし、当講座では人は誰しも―かく言う筆者自身も―程度の差はあれ、何らかの差別的価値観を持っているという前提をとってきました。とすれば、人類全体が本質的にレイシストなのでしょうか。

私の答えはイエスです。言い換えれば、レイシストでない人間など存在しません。ただ、レイシストとしてのレベルに個人差があることもたしかです。大きく見れば、己の差別的価値観を自覚している自覚的レイシストと、自覚せず無意識に差別的価値観を抱いている無自覚的レイシストとがあります。

このうち前者の自覚的レイシストの中でも、明確に差別的な教条を抱懐している確信的レイシストと、教条と言えるほどに分節化されていない漠然とした感情(差別感情)を抱いている気分的レイシストがあります。

確信的レイシストは実際には少数派です。かれらはしばしば同志的グループを作って自説を宣伝する活動をするため、社会的には目立ちますが、社会全体を代表しているとは言い難い存在です。確信的レイシストの周辺には気分的レイシストが寄り集まってくるので、自覚的レイシストの存在は実際より大きく見えるのです。

しかし、社会の中で一番大きな割合を占めるのは、無自覚的レイシストです。例えば、容姿の美醜で自他を優劣評価することを当然のこととして日々実践している人―世の大半の人が程度の差はあれそうでしょう?―は、自身をレイシストであるとは思っていないでしょうが、立派な無自覚的レイシストなのです。

最も恐ろしいのは、確信的レイシストがその周辺に群がってくる気分的レイシストを巧みに組織して政治集団や政党を組織し、なおかつ巧みな情宣活動を通じて大勢の無自覚的レイシストの支持を集めてレイシスト政権を作ってしまうことです。その時、社会全体が自覚的レイシストと化すのです。その典型的かつ史上最凶の事例が、ナチス体制だったと言えるでしょう。

ところで、自覚的レイシストの中にはもう一つのカテゴリーがあり、それは克服中レイシストと呼ぶべきものです。すなわち、己の内なる差別的価値観を自覚した上で、その克服に努めようとしている人のことです。当講座はそうした克服中レイシスト―筆者も含まれます―に向けられた発信でありました。

残念なことに、克服中レイシストの数はまだ多くありません。なぜなら、社会の大半を占める無自覚的レイシストに己の内なる差別的価値観を自覚させることが極めて困難だからです。無自覚的レイシストは自覚症状のない病者と同様、レイシストなど他人のことだと思っているのです。どうすれば無自覚的レイシストを克服中レイシストに変えることができるか―。これこそが、当講座の最大かつ唯一のテーマでありますが、成功には遠い状況です。

そこで本年は、人は出生してからの発達の過程でどのようにしてレイシストとなるか?を追求していきたいと思います。そうした認知発達の解明から、何か答えらしきものが得られることを期待しています。