差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

「感染自己責任論」と差別

本題の反差別教育論から逸れますが、先月末に非常に興味深くも恐ろしい心理学的な調査結果が出されましたので、それをめぐって論じてみたいことがあります。その調査とは、心理学者の研究グループが、日・米・英・伊・中の5か国で、「COVID-19ウイルスに感染する人は自業自得だと思うか」との質問に、「全く思わない」から「非常に思う」まで賛否の程度を6段階で尋ねたというものです。

その結果は━「どちらかといえばそう思う」「やや――」「非常に――」の三つの答えのいずれかを選んだのは、米国1%、英国1・49%、イタリア2・51%、中国4・83%だったのに対し、日本は11・5%とダントツでトップ(参照記事)。

つまり、日本では10人に1人以上がウイルス感染を本人の責任と考えているということになります。いわゆる自己責任論です。もっとも、これは各国約400~500人を対象とするインターネット経由の簡易調査ということで、本格的な大量調査とは言い難いうえに、10人中9人近くは必ずしも自己責任とは考えないというわけですから、過剰反応する必要はないのかもしれません。

ただ、筆者が気になるのは、「自業自得だとは全く思わない」と答えた人が、他の4か国で60~70%台だったのに対し、日本は29・25%だったという結果のほうです。つまり、米・英・伊・中では、大半の人がウイルス感染に自己責任はないと考えるのに対し、日本では逆に、大半の人がウイルス感染にいくらかは自己責任があると考えていることが窺えるのです。

これにより、なぜ日本ではウイルス感染者がしばしば過剰なほど道義的に責められるのかが説明できます。それにしても、ウイルス感染がなぜ、いかなる意味で「自己責任」なのかは、不明です。防備を怠ったということなのか、それとも感染したこと自体が悪だということなのか。

いずれにせよ、「感染自己責任論」の裏側には、感染者への差別的なまなざしが見て取れます。自己責任論すべてに言えることですが、病気や障碍のように自分で好んで選択したわけではないことにまで「自己責任」を介在させて、人を責め立て、排斥するのは、差別にもっともらしい理由をつけて正当化する「転嫁的差別」の一形態です。単純に感染者を劣等視するのではなく、感染したことを本人の「責任」と見立てることで、排斥を正当化し、合理化しようとする思考操作です。

ちなみに、日本でCOVID-19による死者が少ないのは、日本人の「民度」が高いせいなどと放言した大臣がいましたが、これも、感染者(死亡者)が多い民族は「民度が低い」という含みを持たせる点で、日本人優越論のような民族差別思想にまで及ぶ自己責任論の亜種と呼ぶべき言説でしょう。

たしかに、これまでのところ、日本でのCOVID-19の感染状況は比較対象の米・英・伊・中に比べれば、深刻ではないようですが、その要因として、感染すれば「自己責任」の名の下に糾弾・排斥されかねないことへの恐怖からマスク等の防備を徹底していることがあるとすれば、考えものです。つまり、日本人の「民度」=衛生意識の高さは、そうした差別への恐怖心に誘発された強迫行動のゆえだということになるからです。

それにしても、感染者もまた病者に違いないのですが、差別うんぬんの前に、病者に対するごく素朴な共感すらも薄く、感染を自己責任として切り捨てることの冷酷さには、改めて震撼します。自己責任論の王国である米国ですら、大半の人は感染を自己責任とは考えていないのに・・・です。自身もそこに属する日本人というものが、ますますわからなくなってきます。