差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

ヒトラー著書再版をめぐって

ドイツで長年事実上の禁書とされていたヒトラーの自伝的教条書『我が闘争』が8日、再版された。きっかけは昨年までバイエルン州が公的に管理してきた著作権が切れたためという。しかしこれは戦後ドイツにとっては大きな転換となるため、波紋を呼んでいるようである。日本では訳書が堂々と文庫本で簡単に読める著作だけに実感が湧かないのだが、これは差別克服の観点からも考えるに値するテーマである。
我が闘争』はナチズムの思想をまとめた政治思想書というのが本領であるが、そこにはアーリア民族優越主義のような人種差別思想も濃厚に吐露されていることから、レイシストの書という性格も併せ持つ。大きく言えば、差別的図書である。
ドイツでは、ナチズム賛美の著作を出版すると刑法上の罪に問われかねないため、再版本は約2000ページの詳細な注釈付きという。これに対してはナチ思想の宣伝になりかねないことを懸念する批判的意見もある一方で、イデオロギーが大量殺戮を導く過程を教えてくれるという好意的な意見もあるという。
おそらくヒトラー書の再版が認められるのは、この書がすでに注釈を要する古典の範疇に属しているからであり、もしも存命の著者が同種の内容で新著を出版するとなれば、注釈付きでも許されないだろう。
ただ、気になるのは再版の時期だ。折りしもドイツでは難民の大量到来という未曾有の難題に直面し、反難民・移民の風潮も起きている。難民の大半はイスラーム教徒であるだけに、反難民は反イスラーム主義とほぼ重なる。ヒトラー書のモチーフは反ユダヤ主義だが、彼の論理には反イスラーム主義にも応用可能な要素がある。
「注釈付き」ではあっても、その注釈が十分に差別是正的であるかどうか、またそうだとしても注釈がすべての読者に正しく理解されるかどうかが重要であり、それが達成されなければ感化される読者が続出し、まさにナチズムの再現前という悪夢も想定される。杞憂に終わることを願うばかりである。
翻って、日本ではヒトラー書に限らず差別的図書は野放し状態であり、ヒトラー顔負けの反ユダヤ主義の書物が堂々と書店で売られ、一部は公共図書館にすら所蔵されている「差別出版大国」であるが、この差別鈍感状況はそろそろ批判的に克服されなければならないだろう。
その場合、野放しを正当化する理屈としてよく持ち出されるのが「言論出版の自由」である。しかし、言論出版の自由の意義は民主主義の保障にある。差別は民主主義を内側から侵食する害毒であるから、差別撤廃は民主主義の内在的要請でもあるのである。それゆえ、差別的図書は言論出版の自由を正当に享受する資格を持たない。
とはいえ、差別的図書だから禁書や焚書にせよということではもちろんなく、その規制に関しては法的に適正な手段で応じなければならない。ドイツのように注釈付きでの出版なら認めるというのも一つだが、これは新刊本には適用できない手法である。新刊本への対応についても筆者には一つの考えがあるが、やや込み入っているので、これは別の機会に回すことにしたい。