差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

「同性愛者=異常動物」言説

先月、神奈川県海老名市議会議員がツイッターに「同性愛者は生物の根底を変える異常動物だ」と書き込み、問題となった。幸いにして、この発言は強い批判を浴び、市議会は今月3日には議員辞職勧告決議を採択する事態となった。
批判の根拠は「差別」ということにあり、それはもちろん正当である。ただ、「異常動物」言説の“異常”な点は、「同性愛者は気色悪い」といった感覚的な差別言説とは次元が異なり、俗流ながらも生物学的、ないしは優生学的な言説の型式を持っていることにある。
「異常動物」であれば、当然駆除ないし絶滅させられるべきという“最終解決”が導かれてくるはずであり、そうなると、まさしく同性愛者を絶滅対象に狙い定めたナチスと同様の人類浄化政策につながる。発言した市議自身は、そこまでは想定していないと弁明するかもしれない。
しかし、しばしば言説は発話者自身が意識していないところに本質が隠されており、その本質部分が他者を触発し、利用されることによりいっそう強化されていくものであるから、そこまでは想定していないという弁明を直ちに受け入れることはできないのである。
ところで、同性愛はかつて精神医学上精神障碍の一種である性的倒錯に分類され、医学的な意味で「異常」視されていたことがある。それはそう古い話でもなく、国際的な疾病分類のスタンダードである世界保健機関の『疾病及び関連保健問題の国際統計分類』から同性愛が削除されたのは1990年のことにすぎない。
こうした医学的文脈での「異常」論と、上述の生物学的文脈での「異常」論は、厳密に言えば区別される。前者の「異常」は医学的な治療対象になるわけで、実際、同性愛に対する「治療」が試みられたこともあったのである。しかし、後者の「異常」論は治療論とは結びつかず、むしろ優生学的な根絶策と結びつく。この違いには大なるものがあることに留意されねばならない。
治療論と結びつく医学的異常論はそれ自体として差別言説とは言えないが、根絶策と結びつく生物学的異常論のほうは明らかな差別言説であり、否、それ以上のまさにナチ的なファッショ思想なのである。
そのような思想を抱懐する者が一地方議会とはいえ、公職者として選出されているという事実には、戦慄を覚える。当人は「酒の勢い」で書き込んでしまったとも釈明しており、本心ではなかったと言いたいのかもしれないが、飲酒していたのが事実なら、逆に酒の勢いで本心が発露されたという見方もできる。
こうした差別言説の常として、「言葉狩り」という援護射撃的反批判が現われるものだが、今回は批判が圧倒的に多く、援護射撃は少数だったようである。しかし、安心はできない。市議の発話に密かに共感する「声なき声」も少なからずあるだろうからである。
初めにも書いたように、幸いにして、当人が所属する海老名市議会は辞職勧告決議を敢行する英断を示した。除名のような強制力はないが、辞職勧告は、同性愛に否定的な保守系議員も抱える中、議会として現時点でなし得る最も妥当な対応だったと言えるだろう。
それにしても、前記事で取り上げた茨城県教育委員の「障碍児減らし」発言といい、今回の「異常動物」発言といい、地方政治の領域で、公職者のナチ的発言が続いているのを、単なる偶然で片付けてよいか。ファシズムは草の根の地方から中央へと忍び寄る性質もあるので、今後ウォッチしていく必要がありそうである。