差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

遺伝差別について(上)

ゲノム解析技術の進歩により、遺伝子検査が普及し、日本でも商業的な検査サービスが宣伝されるようになった。一般的な検診嫌いの筆者も郵送で簡単にできる遺伝子検査に惹かれて試してみたが、簡易検査であるにもかかわらず、様々な病気の確率因子や先祖のルーツまで判明した。
より本格的な精密遺伝子検査であれば、個人情報が遺伝子レベルでそれこそ丸裸にされることになる。それだけのことならプライバシーの問題だが、そこから遺伝情報に基づく差別―遺伝差別―という事象に発展すると、より深刻な事態となる。
遺伝差別という事象は、現に遺伝子検査の先進国である米国では、遺伝病を理由とした商業保険の加入拒否・解約や雇用拒否・解雇というような形で生じている。
ただ、保険差別の場合は病気治療や死亡に際して給付されるサービスでありながら、病気発症確率が高いと排除されるという保険原理の矛盾に起因する事象であり、遺伝病そのものを劣等視しての差別ではない。雇用差別の場合も、雇用主の保険料負担と関連している可能性が高い。
真の意味での遺伝差別は遺伝病そのものを劣等視して遺伝病因子保有者を排斥したり、先祖のルーツ情報に基づく人種差別に悪用するような場合である。おそらくナチが現代に復活すれば、かれらは遺伝情報に飛びつき、全国民の遺伝情報を把握しようとするに違いない。
当講座で「差別の一丁目」に分類してきた容姿・人種・障碍に基づく差別とは、角度を変えてみれば、遺伝情報に基づく差別とほぼ重なる(負傷による後天的な心身の障碍は、遺伝と関わりない)。中でも人種差別が遺伝情報の悪用によって再活性化される危険は現実にあり、おそらくこれが遺伝差別において最も恐るべき事態であろう。
差別とは基本的に目に見える属性による差別なのであるが、遺伝差別は遺伝情報という目に見えない属性による差別である。例えば外見上は白人そのもので、本人もそう信じていたのに、遺伝子検査の結果、部分的に黒人系の遺伝子を持っているということが判明するかもしれない。このような場合に、その者が「黒人」とみなされ、差別を受けるといった事態もあり得ることになる。
遺伝差別は差別の定義にも変革をもたらす新しい形態の差別であると言いたいところだが、必ずしもそうではない。遺伝差別とは、従来は目に見えなかった個人の属性が科学技術の進歩によりデータとして「見える化」されたことによって発生してくる差別とも言えるからである。
その限りで、遺伝差別はデータ社会における新たな差別事象という側面はあるが、容姿のような直接に目に見える属性も具象化された一つの個人データとしてとらえ直せば、遺伝情報のようなデータとは表裏一体的なものとみることができる。
そうした点で、遺伝差別は全く新しい差別事象というわけではなく、伝統的な差別を科学的に新装したものだとも言えよう。科学で武装した差別。それは、科学の時代においては危険な説得力を持つ危険性が高い。
では、遺伝差別を克服するにはどうしたらよいだろうか。遺伝子検査そのものを差別と位置づけて禁止すべきなのであろうか。こうした問題については、稿を改めて議論してみよう。