差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

大統領のnigger発言

これまで、差別に関する一般論的な概説をしてきたが、実際のところ、差別は日常の中で発生するので、何が差別に当たるのか、判断に迷うことも多い。そうしたこれって差別?という疑問をそのつど解決していくことも、差別克服の重要なプロセスである。今回以降は、こうした差別の具体論に分け入っていきたい。
その最初は、先日アメリカのオバマ大統領の口から飛び出したある単語をめぐってである。オバマ大統領と言えば、アメリカ史上初のアフリカ系(黒人)大統領として歴史に残る存在であるが、その大統領自身がコメントの中でniggerという単語を公然口にしたのだ。日本語なら「黒ん坊」に当たるN-word(差別語)である。
これは、サウスカロライナ州で黒人教会に白人の青年が乱入、居合わせた9人を射殺した衝撃的な事件をめぐる発言の中で飛び出したものだった。その際の発言を英語系ニュースサイトから抜き出してみよう。
Racism, we are not cured of it. And It's not just a matter of it not being polite to say 'nigger' in public. That's not the measure of whether racism still exists or not. It's not just a matter of overt discrimination," (私訳:人種差別、これから我々は癒されていない。しかも、それは単に公然と「黒ん坊」と発言するのは非礼だという問題ではない。そのことは人種差別が依然存在するか否かの判断基準にはならない。それは単に公然たる差別の問題ではないのだ。)
ここで大統領が言わんとしていることは、言葉で「黒ん坊」と言わなくとも、差別は存在するということ、つまり見えない差別について指摘している。乱射事件の犯人の動機は明白な人種差別だったが、アメリカにおける差別はもっと隠れた形で遍在していると言いたかったのだろう。
niggerという単語は、それだけ取り出せば明瞭に差別語であるので、大統領の発言には批判も寄せられた。実際に黒人に向かってこの単語を使うことは、差別行為である。しかし、大統領がこの単語を用いた真意は隠れた人種差別について注意を喚起することにあり、自らも属する黒人を差別することにあったのではない。
言語における単語というものはすべてそうであるが、それが用いられる文脈によってその位相が変化する。同じniggerを差別的文脈で使うのと、非差別的文脈で使うのとでは、全く異なる。差別語を非差別的文脈で用いることは、差別には当たらないのである。というわけで、大統領のnigger発言を批判するのは、いささか見当違いということになる。
実際、大統領が指摘するとおり、公民権法施行から半世紀を経たアメリカでも、人種差別は終わっていない。乱射事件のようなヘイトクライム型の明白な差別行為はむしろ古典的な時代錯誤であり、実際には目に見えない差別が伏在している。
目に見えない差別という点では、日本型の差別に近いわけだが、法的には公民権法で禁止されるアメリカの人種差別も、ある意味で「日本化」してきたということだろうか。だとすると、法律だけでは律し切れない段階にあると言えるだろう。