差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

ユニーク・フェース論

だいぶん間が開いてしまったが、続けたい。今回は、表題のように、ユニーク・フェースの問題を取り上げる。ユニーク・フェース(unique face)というのは、直訳すれば「個性的な顔」ということだが、主として顔面に病変的な部分がある人々の自助及び反差別運動のキーワードである。
筆者の知る限り、こうした運動自体は欧米に発祥するが、ユニーク・フェースという概念は日本発のようであり、反差別の分野では珍しく日本の独自性が発揮されるところとなっている。
このように、ユニーク・フェース論は主として顔面病変者の運動に由来しているが、より拡大すれば容姿差別全般へのアンチテーゼとなる考え方としても、注目される。
その一方で、若干の疑問というか懸念もある。それは、ユニークという言葉の使い方である。この語は先ほど指摘したように、表面上は「個性的」というポジティブな形容詞であるが、顔面の病変やより広く醜悪な容姿を「ユニーク」と言い表すことには、ネガティブな婉曲的含意がないかどうかということである。
当事者自身が自らの容姿を「ユニーク」と評することは、自身の容姿が標準から外れていて風変わりであることを自認することになるのではないか。そのことは、間接的な形ではあれ、世人に対しても、容姿には標準的なものとそれ以上、以下が存在するという容姿をめぐる差別化を肯定することになりはしないか―。
もっとも、この語を使うことで、自身の劣等感を克服し、自らの容貌を個性として受け入れ、そこに自己のアイデンティティを築こうとするうえでは、ある種の療法的な意義があることもたしかである。従って、自助運動のキーワードとしては有効と考えられる。
似た事例として、黒人が「ブラック・イズ・ビューティフル」を標語としたり、障碍者が障碍を「個性」としてポジティブにとらえようとすることがある。
しかし、こうした「アイデンティティ戦略」は対社会的な反差別運動としてのキーワードとしては、適切と思われない。ユニーク・フェース運動は容貌のほか、身長、体型を含めた容姿を理由とする差別全般を克服する運動に包摂される。そこまで拡大して、「ユニーク・アピアランス」(unique appearance)といった拡張概念を作り出すことも可能だが、あえてそうすべきでもないと思う。
つまり当事者内部の自助運動と対社会的な反差別運動は分けてとらえ、後者のキーワードは「反容姿差別」ということで、必要にして十分である。ユニーク・フェース運動は20世紀末に遅れて登場し、関係者からも「20世紀最後のマイノリティ宣言」と評され、今世紀にも継承されているが、より広くとらえれば、反容姿差別宣言である。
これまでの記事でも述べてきたとおり、容姿差別は差別の一丁目一番地であるだけに、かえって置き去りにされてきた。そこに焦点を当てたユニーク・フェース運動には大きな意義があるが、単に顔面病変の問題にとどめてしまうなら、それは狭すぎるだろう。
人を容姿で差別しても構わないという価値観はまだ世界中で生き残っている。そういう相当普遍的な価値観を変える運動の原点が反容姿差別である。ただ、人間の意識に深くこびりついた価値観を実際どうやって変えられるか、今後しばらくはこのほとんど人類的なと言うべき大問題に取り組んでみよう。