差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

差別の正体―劣等感

差別とは、特定の被差別特徴を持つ人ないしそのような集団を蔑視することであるから、それは何らかの優越感をベースにしているものと思われやすい。例えば、容姿差別ならば、自分の容姿に自信を持つ者が自分より容姿に劣ると見た相手を蔑視するのだろう、と。
ところが、そうでもないようなのである。むしろ差別の根底にあるのは、劣等感である。自分の容姿に劣等感を持つ者が、自分よりもいっそう容姿に劣ると見た相手を蔑視するのである。言い換えれば、自身の劣等感を埋め合わせるためのスケープゴートとして、より劣等的な相手が物色されているのである。
ただし、ここで言う劣等感とは相対的なものであるので、マイナス認識に限らず、例えば自分の容姿は悪いとは言えないが、ごく平凡であると認識するようなゼロ認識をも含んでいる。そうしたゼロ以下マイナスの自己認識が差別の正体を成す劣等感である。
そうあればこそ、差別の被害者―被差別者―が別の場面では自ら差別者に転じることすらできるのである。ここに、恥ずべき体験を告白すれば、自身容姿に絡めていじめ・嫌がらせを受けていた筆者が、際立って太った体型を豚になぞらえていじめられていた女子児童へのいじめに加担したことがある。
これは子どものいじめの例であるが、自己の劣等感の埋め合わせに別の犠牲対象を探すという深層構造は、成人の差別と相似形である。こうして差別が差別を生む「差別の連鎖」と呼ぶべき現象は、あらゆる差別事象において観察される。
ただ、差別の一丁目三番地として紹介した人種差別の場合、例えば白人種の有色人種差別は、単純に白人の優越感をベースとする差別ではないかと問われるかもしれない。実際、「白人優越主義」という用語もある。
しかし、少なくとも黒人差別について言えば、黒人のほうが白人よりも歴史の古い人種であって、現生人類の最初の世代に近い。人類史の先後関係で言えば、白人は黒人の「後輩」である。黒人差別にはそうした白人の無意識の深層的劣等感が内包されているのではないか、という仮説は十分成り立つように思われる。
差別が単純な優越感に端を発するなら、まだしも解決は容易である。それは優越的な人にもう少し謙虚になってくれるように要請すれば済むからである。だが、自身劣等感を持つ差別者に、どう説得したらよいのだろうか。「あなたも結構美女/美男ですよ」と褒め殺すか、それとも、「あなたも私と五十歩百歩じゃないか」とけなすか。
差別の根底に劣等感があるとすると、差別の根本的な克服のためには、劣等感への対策が不可欠になる。劣等感とは、自他を明確に弁別し、優劣を対比するヒトに特有の心理である。それを克服する特効薬的対策はあるのだろうか。次回以降、このことを共に考えていきたい。