差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

外見偏重の落とし穴

人間は視覚への依存度が高いので、他人を判断するに際しても外見にとらわれやすい。このことは容姿差別の被害者である筆者にしても、免れ得ない性向である。極端に言えば、美形の人を見ると、それだけで「感じの良い人」だと即断してしまいやすい。
その反面として、醜形だとそれだけで感じが悪い、価値のない人間だと切り捨ててしまう。それがまさに容姿差別という差別の一丁目一番地の始まりである。
容姿差別を倫理的に糾弾することはたやすいが、そういう糾弾の身振りによって外見にとらわれやすい人間の性向を変えることは難しい。そこで、少々功利主義的な発想になるが、外見偏重だとどんな不利益が待っているか考えてみることから出発してみよう。
美形=感じの良い人という価値観で動いていると、まず容姿を武器に接近してくる詐欺師、美人局、レイプ犯、果ては殺人鬼の餌食となりやすい。逆に犯行者の“戦略”からすると、被害者に接触して何らかの形で相手に好感を持たせて犯行に及ぶには、容姿が良いことが条件になるということである。
あなたは美形の犯罪者の餌食となって、財産や貞操、生命まで奪われても構いませんか―。イエスと答える人はいないと信じたい。もしも、美形犯罪者の餌食にされても、それは本望だ、外見重視の価値観は絶対に変えないと言うなら、もうこれ以上の問答は無用であり、当ブログとは縁のない人である。
さて、こうした犯罪被害は最悪の不利益であるが、もっと日常的な場面で言えば、パートナー探しの「婚活」がある。相手の条件として容姿にどの程度比重を置くかは個人差も大きいと考えられるが、経験的に言って、容姿一切不問と断言できる人は少ないのではないか。
しかし、ここでも、容姿の良い相手がパートナーとしても良いとは限らないのであって、容姿は良いが人格的な面で問題があり、不倫、浪費、DVなどの問題行動が現れ、結婚生活が破綻に陥ることは十分にあり得る。容姿基準を偏重して相手を選んだ時には、こうした破綻リスクは大きなものとなる。
そのほか、「就活」での容姿差別も、落とされた志望者以上に落とした組織の側に不利益がある。採用面接でよく言われるのは「第一印象」である。第一印象とはまさに容姿の表象のことである。面接室に志望者が入室した瞬間、面接者はまずざっと相手の容姿を視る。その時に感じた印象が採否を半分くらいは決定づける。
そんな第一印象偏重の採用を続けていたら、容姿だけで中身のない人間が採用されるようになり、組織にとっては大きな不利益となるはずである。(ただし、風俗系接客サービスのように、スタッフの容姿がサービス内容に含まれる場合はむしろ利益になるが、そういうサービス自体の性差別性は別論。)
・・・というように、外見偏重で生じる代表的な不利益を挙げただけでも、外見偏重の損がよく実感できると思う。差別を倫理的に考える前に、こういう損得勘定から入っていくのは、決して“損”にならないはずである。