差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

「合理的配慮」への危惧

今月より「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(以下、障碍差別解消法という)が施行された。当法律は2013年に公布済みであったが、三年間の周知期間を置いての施行という触れ込みである。
この法律は、その名称どおり、障碍を理由とする差別の解消を推進することを趣旨とする法律であり、精神法でなく、具体的に差別禁止を定めた日本では初の法律となる。しかし、問題点は多い。まず総論的には、包括的な差別禁止法でなく、あくまでも障碍を理由とする差別に限局された特別法であること。
差別は、当ブログでも見てきたように、容姿に始まり犯罪歴に至るまで、種々の理由によって行なわれる人類的悪習慣であるが、今回の法律はその中でも障碍差別だけを切り取るものであり、差別全般の解消には程遠い。ただ、ここではこの総論問題は保留にする。
当法律固有の最大の問題点としては、法律のキーワードでもある「合理的配慮」という判断基準の危険性が懸念される。「合理的配慮」という用語はそれ自体極めてわかりにくいが、元はreasonable accommodationという英語概念の邦訳である。
reasonable accommodationの中心単語accommodationとは「便益」ということで、障碍との関わりで言えば、障碍者を助けてその便益を図ることを意味する。これに付せられた形容詞reasonableとは本来は「理性的」とか「理にかなった」が原義であるから、合わせれば「理にかなった便益」とでも訳すのがわかりやすいだろう。
これを「合理的配慮」と訳したことは、誤訳とは言わないまでも、不適訳と言わざるを得ない。「合理的」という訳語は「理にかなった」という意味にも取れなくないが、日本では「合理化」を解雇の隠語として用いたり、日本式「合理」にはとかくネガティブな含意がある。
そのうえ、実は英語のreasonableにも「それほどでない」「中庸の」といった意味もあり、特に値段など物の価値に関わる形容としては、このような程度が高くないというニュアンスがあるのだ。
そこへもってきて、先のaccommodationに「配慮」という主観的な訳語を充ててしまうと、「いちおうの思いやり」といった相当に割り引きされた内容の概念と化してしまう恐れがある。つまり、具体的に障碍者に便益を図るというreasonable accommodationの積極的な意味合いが空洞化されてしまう危険性である。
実は、reasonable accommodationは国際連合の障害者権利条約で次のような立派な定義が与えられている。
necessary and appropriate modification and adjustments not imposing a disproportionate or undue burden, where needed in a particular case, to ensure to persons with disabilities the enjoyment or exercise on an equal basis with others of all human rights and fundamental freedoms 個別の事例において必要とされる場合において、障碍者があらゆる人権及び基本権を他者と平等な基礎の上に享受し、かつ行使することを保障するため、不相応または不当な負担を課さない限りでの、必要かつ適切な修正及び調整(私訳)
障碍差別解消法がこの整理された定義を法文として取り込まず、「合理的な配慮」の定義を与えていないことや、「障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において」と障碍者側からの意思表明を条件づけていること(逆に意思表明がない限り、配慮しなくてよい)は、この法律の「正体」に関する一つの疑惑を提起する。
すなわち、この法律は、その表題にもかかわらず、実は「障碍者差別維持法」なのではないか?という疑惑である。少なくとも、「合理的配慮」が個々の事例で差別解消を免責する方向で一人歩きする危険は大いにあるだろう。