差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

容姿差別の深刻さ

差別の一丁目一番地は容姿差別だと述べたが、続いて二番地の話に行く前に、容姿差別の深刻さについて指摘しておきたいと思う。というのも、容姿差別など人種差別や性差別等々に比べれば大した問題ではないと軽んじられるかもしれないからである。
しかし、容姿差別の現在進行形当事者として言わせてもらえれば、容姿差別の深刻さは人種差別や性差別以上である。容姿差別は被差別者の心身の健康をすら蝕み、自己実現の可能性を大きく制約してしまうからである。
容姿差別の被差別者に多いのが、対人恐怖症である。自分の容姿を蔑視されるのでは?という不安から、正常な対人関係を結ぶことが困難になり、対人場面での極度のあがり症や対人関係そのものを回避してひきこもりに陥る一種の精神疾患である。青少年期の筆者もこの症状に悩み、熟年期となった近時ようやく回復基調にあるところである。
対人恐怖は精神疾患の一種とみなされているため、臨床心理士精神科医の中には、容姿に対する劣等感による被害妄想が原因だと決めつける向きもある。そして、近時の薬物依存的な精神科治療に回されて、向精神薬を投与されることもあり得る。
しかし、容姿差別は確実に存在しており、決して被害妄想ではない。筆者自身の体験でも、陰口や嘲笑は小中学校時代から始まり、現在でも成人―加害者は女性もしくは女性に媚びる男性が多い―からそのような扱いを受けることがしばしばある。
そのため、対人恐怖をおおむね克服した現在でも他人の視線を気にする習慣は残っており、大勢の面前に出ることは再発防止のため絶対的に避けているし、女性のグループに接近することも避けるようにしている―避け切れない場合もあるが。
このように、対人恐怖には容姿差別という根拠体験がある。専門家が言うように、劣等感も発生するが、それは容姿差別を受け続けた結果、自身の容姿を自身で劣等評価してしまう「自己差別」という現象であって、被害妄想的な思い込みなどではないのである(ただし、根拠体験のない被害妄想型対人恐怖症の存在を否定するものではないが、その鑑別は臨床的に厳密に行なわれるべきである)。
容姿差別は人種差別その他のように言説化されることは少ない代わりに、陰口や嘲笑、何気ない嫌がらせといった日常の中に潜む形で表出されるからこそ、被差別者の苦悩も深く、日常生活に及ぼす影響も大きいのである。