差別克服講座

様々な個人的または集団的属性を理由とする差別を克服するための日常的な努力の方法について考えるブログ

官憲による差別的権力犯罪

日本では従来から、留置場や刑務所、入管施設等の収容施設で収容者が変死する事件がしばしば発覚してきました。つい最近も、愛知県警岡崎署に留置されていた被疑者が140時間以上も戒具で拘束されたうえに暴行を受け、持病の薬も与えられず、死亡するという事件があり、警察が警察を捜査する事態となっています。

 

少し前には、名古屋の入管施設に収容されていたスリランカ人の収容者ウィシュマ・サンダマリさんが体調を崩した際、救急治療が必要な状態であったにもかかわらず、適切な医療が与えられずに死亡した事件が大きく報じられました。

 

刑務所関連でも、死者は出ていないようですが、名古屋刑務所の刑務官22人が複数の受刑者に暴行を繰り返していたことが今月、所管する法務省自身によって公表されています。(名古屋刑務所では、2001年に、刑務官が受刑者の肛門に高圧放水し、死亡させる事件が発覚し、受刑者処遇法改正の契機となっています。)

 

ちなみに、如上の諸事件がいずれも愛知県内の収容施設で起きているのは奇妙な偶然ですが、警察署の留置場を除けば(警察も究極的には国の警察庁が管理)、いずれも国が所管する施設ですので、全国どこで同種事案が発生してもおかしくありません。

 

こうした法執行の権限を持つ公務員による作為/不作為の権力犯罪は、通常は人権問題としてとらえられますが、問題の現場となった収容施設は犯罪の被疑者や受刑者、入管法違反の外国籍者を収容するものであり、いずれも最近まで当講座で扱った犯歴差別や国籍差別とも関連してくる場所です。

 

問題の当事者となる警察官や刑務官、入国警備官といった公務員は、いずれも試験選抜され、特別な訓練を受けた官憲でありながら、なぜ収容者に対する不当な仕打ちに走るのだろうか、ということを考えると、そこには収容者に対する差別意識の介在を想定せざるを得ないのです。

 

こうした施設に収容される犯罪の被疑者や受刑者、あるいは入管法違反の外国籍者らは、犯歴差別や国籍差別を受ける「余所者」たちです。かれらの身柄を管理する公務員の内にもそうした「余所者」への差別意識があり、また一般社会にも「余所者」への官憲の不当な仕打ちを容認してしまう空気があります。

 

このような事象は日本に限らず、アメリカでも、ミネソタ州ミネアポリスの白人警察官が自動車からの降車命令に抵抗したとされる(警察発表)黒人被疑者を膝で地面に長時間押さえつけ、窒息死させた事件(ジョージ・フロイドさん事件)を機に、「ブラック・ライヴズ・マター」運動が隆起したことは記憶に新しいですが、こうした事案でも、クローズアップされた人種差別に加え、犯歴差別の意識も警察官の意識内にあることが窺えます。

 

もっと視野を広げれば、犯歴者や外国籍者の収容施設は、世界中の国で官憲による差別的権力犯罪の温床であると断言できます。もちろん、世界中で行われていることだから大した問題ではないと言いたいのではなく、世界規模の広がりを持つからこそ、真剣に取り組むべき問題なのです。

 

ただ、官憲による差別的権力犯罪の現場となる場所は外部には閉ざされた密室であることが多く、ジョージ・フロイドさん事件のように、衆人環視のもとに公然行われ、一部始終が市民によって撮影までされていたというのは特異なケースです。ほとんどの場合は、闇に葬られるか、発覚しても死亡との因果関係不明などとして不問に付されてしまいます。

 

闇から外に出すには、まずは当事者やその家族らが声を上げ、告発することから始めなくてはなりません。そして、そうした告発を社会の側が真剣に受け止め、犯歴差別や国籍差別を克服する努力をすることです。問題の事案を一般的な人権問題としてとらえ、関係者を立件し、あるいは懲戒処分にかけて幕引きとするのでは、本質的な解決とは言えません。

 

 

[付記]
冒頭の岡崎署の事件で変死した被疑者には統合失調症の持病もあったと報じられており、そうだとすると、精神障碍者に対する差別も絡む事案となり、まさに精神障碍者を収容する精神科病院でもしばしば発覚してきた患者の変死事件と共通する要素を持ってきますが、差別的権力犯罪を主題とする本稿ではこの問題に立ち入りません。